チャンスはピンチだ。

響くアートの愛好家

美の巨人たち エクトール・ギマール「パリ・メトロ出入口」

f:id:tanazashi:20190217212149p:plain



 

パリにメトロが開通したのは、万博が開催された1900年。

フランスの建築家ギマールが手掛けた出入口は、実に不思議な形をしています。

手の込んだ手すり、アーチから伸びる植物のような柱、花のような街灯…それは正にアール・ヌーヴォー様式。

ところが最盛期には167カ所あったギマールの出入口はおよそ半分に。

世紀末のパリを飾った新しい芸術はなぜ生まれ、なぜ消えていったのか?

根源にあったパリの“希望”と“焦り”に迫ります。

美の巨人たち エクトール・ギマール「パリ・メトロ出入口」

放送:2019年2月23日

 

プロローグ

今やパリの風景に欠かせないランドマークとなったエッフェル塔。建てられたのは今から130年前。1889年パリ万博の時でした。このエッフェル塔が立ったほぼ10年後、同じように今やパリの風景に溶け込んだある斬新なアート作品が作られます。それは町のあちこちにあるというのですが。「見ない日はないよね」「クラシックで美しいものがありだけどそうじゃない魅力があって素敵」。数あるパリの歴史的建造物に勝るとも劣らない斬新な芸術とは。実はこの近くにあるんです。正解はこちらです。「地下鉄の花」。その花はパリの至る所にあります。その数なんと八十八箇所。今日の作品。エクトールギマール作パリメトロ出入口。1900年のパリ万博の時に開通したメトロの地上出入り口として作られました。不思議な形をしています。側面の鉄製の囲いには手の込んだ曲線模様とまるで昆虫の堅い羽のようなレリーフ。の最下部にはメトロの頭文字Mの装飾。囲いからまるで植物のように伸びる鉄の柱は途中で枝分かれし、一方は看板をもう一方は花のつぼみのような電灯を支えています。町に咲いた鉄の花。19世紀末に登場したアールヌーボーという様式です。訳すと新しい芸術。いったいどこが新しかったのでしょうか。かつて不思議なフォルムの出入り口の数は今のほぼ倍あったと言います。メトロの建設プロジェクトを担当するカミナガイさんは「このギマールのデザインは最盛期に166箇所にも及びました。それもこのタイプだけでなくもっと多種多様なデザインがありました。西暦1900年。19世紀の終わりであり、新しい時代20世紀を目前にして現れたパリの花は一体なぜ生まれ、消え去ったのか。

新しい時代の建築物

エクトール・ギマールはパリの国立装飾芸術学校を卒業後、国立美術大学建築学科に進みますが、伝統ばかりの教育に嫌気がさし中退、建築会社に勤めます。しかし当時のパリは現場でも現場でも伝統にがんじがらめ。新しい芸術になど組み込める余地はありませんでした。パリは1853年からはじまった大改造でかわりつつありました。それまでのパリといえば細い路地に悪臭が漂う非衛生的な町だったと言います。それらを取り壊してできたのが凱旋門から放射線上に伸びるシャンゼリゼなどの大通り。しかもこの時、建物の高さやベランダの位置までも定めたんだとか。「だから美しい街並みが生まれたのね」「でも直線ばかりで面白みがない。まるで衣装棚」。どこまでも見通せる直線の景観美で、パリは世界に冠たる美しい街と称えられました。しかし、ギマールはあまりに整然とした街並みに不満でした。そのギマールにあるアパルトマンの設計依頼が来たのは28歳の年。メトロが生まれる5年前1895年のことです。

パリ16区。ギマール設計のアールヌーヴォーのアパルトマン。カステル・ベランジェ。初めは他と変わらないありふれた建築だったと言います。新しい建築を目指したいのに結局は石造りの何の変哲もないものしかできない。苦悩していたギマールは建設途中の1895年春。休暇を取り旅へ出ます。そしてベルギーブリュッセルでまさに新しい建築と出会うのです。設計者の女はヴィクトール・オルタ。アールヌーヴォー建築の先駆者でした。そもそもアールヌーボーとは19世紀末に起こった新しい芸術運動。発端は18世紀半ばの産業革命にありました。機械で生み出された安易で安価そして大量に生産される工業製品に対し、手仕事による自由で繊細そして個性的な美を提示したのがアールヌーボーでした。だからこそこのんだモチーフは工業的て直線的なものではなく、植物や生き物など自然由来のもの。昆虫のモチーフもよく用いられました。その思想を建築に取り入れたのがオルタだったのです。彼の建築を見たギマールは衝撃を受けます。まるで蔦が這うかのような植物のデザイン。それはまさに今までに見たことのない全く新しい建築でした。ギマールは帰国すると建築途中だったカステル・ベランジェの設計を全面的に変更します。正面玄関入口の生き生きとした線の戯れ。中もそれまでの建築ではありえなかった新しい芸術でデザインしました。至る所でうねり伸びるライン。それはまるで建物に命が与えられたかのようでした。かくしてこの建築はフランス初のアールヌーボー建築となり、1899年権威ある国の建築賞に輝きます。32歳にして一躍アールヌーヴォーの旗手となったりマールがパリの地下鉄の出入口に取り組むのはその年の暮れのことでした。さてもう一度パリメトロの出入り口を見てみましょう。植物の茎のような柱は優美な曲線を描き、まさに花のように電灯を咲かせます。メトロポリタンという文字もギマールの手書きのデザインを採用しています。昆虫の羽のようなレリーフも細部に至るまで自然由来の曲線が用いられ、直線はほとんど皆無。もう一つ別のタイプも見てみましょう。ポルト・ドーフィーヌ駅。今はもうここにしか残っていない三方を壁で囲われた貴重なタイプです。壁面には植物のような模様が描かれ、茎を思わせる細い鉄の柱がそれぞれの壁を繋いでいます。屋根も不思議な形をしています。中央の梁に向かって落ち込んでいるのです。そのおかげでまるで虫が羽ばたいているようにも見えませんか。まさにアールヌーヴォー。植物そして昆虫。自然由来の美が見事に取り入れられています。しかしなぜパリは地下鉄の入り口まで新しい技術にこだわったのでしょうか。そこには古い時代が終わり新しい時代を迎えようとする19世紀末のパリの挑戦がありました。
そもそも地下鉄の歴史は今からおよそ150年前のロンドンにさかのぼります。産業革命を先駆けたイギリスが世界初の地下鉄を開通させたのは1863年。地下を蒸気機関車が走るという今では考えられないスタイルでした。それにイスタンブールブダペスト、ウィーンが続き、パリに地下鉄ができるのはその後のこと。当時パリは1900年に開かれる万博の準備に追われていました。パリはこの時会場だけでなく町全体を芸術の都にしようとしていました。だからこそ同時に開通するメトロの出入り口も一つの芸術作品として捉えていたのです。そこでアールヌーボーという新しい建築の旗手ギマールに白羽の矢が。ところが大問題があったのです。実はギマールが設計者に選ばれたとき、地下鉄開通までわずか半年しかなかったのです。短い期間でしかも複雑な形をした出入り口をいくつも作らなければならない。ギマールはこの時実に大胆な方法を思いつきます。ヒントは出入り口そのものにありました。植物の柱を下から見ていくと途中に丸い膨らみがあります。実はこれリベットで繋ぎ合わせた後。まるでひとかたまりのオブジェのような見た目ですが組み立て式になっているのです。その方法はと言うと、まず完成形をいくつかのパーツに分けて大量に鋳造。そして設置場所に合わせそのパーツをつなぎ合わせるという、いわゆるプレハブのような建築工法を採用したのです。パーツの組み合わせによって色々な形や大きさにも対応できました。例えば現在残る屋根付きの出入り口・アベス駅も、側面の昆虫の堅い羽のようなパーツは共通のもの。さらには今はなくなってしまった待合室付きのメトロ出入口も、この部分。ポルトフィーノ駅の壁と同じ。同様のパーツの組み合わせで出来ていたのです。パーツの大量生産でわずか半年という工期に間に合わせたギマール。しかしそもそもアールヌーボーとは確率的な大量生産への反発から生まれたもの。ギマールはアールヌーボを捨てたのでしょうか。ギマール協会のデクチュレルさんは「ギマールの考えるアールヌーボーは単に手仕事の美を指すわけではありません。早く安く大量に作れるものを加工しアールヌーボーという芸術を世に送り出しその力で人々の生活を美しく彩る。それがギマールの目指した美でした」。その際たる美は夜に見ることができます。ギマールは出入り口に新しい光、電灯をつけました。1900年の開催されたパリ万博。動く歩道には最先端技術の電気が使われました。ギマールも電灯を使ったのです。高い技術力を見せつけた万博は過去最高の4800万人が訪れバリの大勝利で幕を閉じました。その後メトロの路線は拡大。同時にギマールの出入り口も増産され、最盛期には166か所にも上りました。しかし現在残っているのは半分ほどの八十八ヶ所。大成功を収めたはずなのに一体なぜ。原因の当初は当初バス停ほどの間隔にあった地下鉄の駅が統合され出入り口そのものの数が減ったこと。さらに時を経て新しい芸術アールヌーヴォーが時代遅れとなったことも一因でした。かくして減少の一途を辿ったギマールのメトロ出入口ところが今思わぬ場所で増殖を続けていたのですその場所とはいったい。

再評価されたギマールの作品

20世紀初頭新しい芸術としてパリ中を埋め尽くしたギマールのメトロ出入口。しかし時が経ちアールヌーヴォーが時代遅れになると出入り口の数は最盛期のおよそ半分にまで減少してしまいました。その風向きが変わったのは1964年のことでした。当時文化大臣だった作家アンドレ・マルローが国の歴史的建造物としてにギマールのメトロ出入口を保存すると決定。1900年の万博を成功させ、パリにアールヌーヴォー建築を根付かせたと評価されたのです。ギマールが19世紀末に開花させた美はこうしてこの街で永遠に生き続ける花となりました。でもそれだけではありません実は今パリのメトロ出入口は 場所で花を咲かせていたのです。 芸術の都パリの出入り口をわが街に。ギマールの出入り口は何と世界に五つの国で使われているんです。街に芸術を。ギマールの夢はパリから世界へと羽ばたきました。パリに行かれたらメトロから地上へ出る瞬間、ふと見上げてみてください。今ではこの街の風景の一部となった世紀末の新芸術。その美しい曲線。命を入れたような鉄の自由なうねりを。エクトール・ギマール作パリメトロ出入口。花の都の挑戦。そして誇り。

 

オルセー美術館展 パリのアール・ヌーヴォー 公式図録

 

 

映画、ドラマ、アニメの動画視聴ならU-NEXT<ユーネクスト>。映画やドラマ、アニメの名作はもちろん、最新作も超充実なコンテンツ数が特徴です。その数120000本以上。まずは31日間の無料トライアルを是非お試しください。

映画、ドラマ、アニメの動画視聴ならU-NEXT<ユーネクスト>。映画やドラマ、アニメの名作はもちろん、最新作も超充実なコンテンツ数が特徴です。その数120000本以上。まずは31日間の無料トライアルを是非お試しください。