ノーベル賞作家のカズオ・イシグロの小説「浮世の画家」がNHKでドラマ化される。
その劇中の絵画に現代の作家が挑んだ。カズオ・イシグロのインタビューを交えて伝える。
彼の2作目の著作が日本を舞台にした「浮世の画家」だ。
俳優の渡辺謙演じる主人公の画家は戦前に描いた絵が理由で戦後苦悩を抱える。
ドラマの鍵となるのが登場人物たちが描く絵画。
3人の現代作家たちにその制作が依頼された。
その過程を追いながら画家とはそもそも何を描くべきなのか?
そしてドラマを通して見えてくる芸術の意義とは?
イシグロの話と合わせて紹介する。
【司会】小野正嗣,高橋美鈴,【ゲスト】作家…カズオ・イシグロ,アーティスト…近藤智美,画家…福井欧夏,作家…宮崎優
日曜美術館「“浮世の画家”を描く~カズオ・イシグロの小説に挑む現代作家~」
放送日
2019年3月17日
プロローグ
木刀を振り上げる若武者のような出で立ちの少年。
鋭い目つきでこちらを見つめています。
頭上には酒を飲みながら談笑する男たち。
そして日本を象徴するような日の丸が描かれています。
実はこの絵。ある小説をもとに描かれた架空の絵画です。
その小説とは1986年イギリスで発表された「浮世の画家」。
作者は日系イギリス人作家、カズオイシグロさんです。
2017年にはノーベル文学賞を受賞しました。
その小説が初めて8Kドラマとして NHK で制作されています。
転換する社会の中で自らの画業を自問する一人の画家が主人公です。
物語の鍵となるのは登場人物たちの思いが投影された絵画です。
ドラマの撮影に先立ち、3人の現代作家たちにその制作が依頼されました。
それぞれの登場人物の絵を、わずかな記述を頼りに描いていきます。
「本当になりきってだんだんだんだん実態がつかめてきたと言うか」
「その線を辿ることで見たことのない絵の景色を見させてさせてもらえてるような気持ちにもなれて」
「そこですべてのものを出さなきゃいけないというそういうキーになるような絵だと思って」。
今回、原作者のカズオイシグロさんにもインタビュー。
「芸術作品は感情に訴えかけるものであってほしい」
現代の作家たちが描く絵に秘められた力とは。
今日は「浮世の画家」を通して人間にとっての芸術の意味を探求していきます。
イシグロカズオ
石黒さんが作品に込めようとしたものは何か。
2月下旬ロンドンを尋ねました。
イシグロさんの小説世界に魅了されてきた小野正嗣さん。
一人称の私の語りによって浮かび上がる独特の世界が作品の魅力の一つだといいます。
作家として浮世の画家に解説文を寄せています。
「イシグロの語り手たちはみな、身辺に起こった過去の数々の出来事を語ることによって再構成しようとする。今の自分は何者なのか。イシグロは語り手の回想を通じて同じ問いかけを共有しつつ全く異なる一人一人の人間の生を浮かび上がらせる」。
今回、石黒さんへのインタビューが実現しました。
長崎に生まれたイシグロさんは5歳の頃に家族とともにイギリスへ。
登場人物が自らの記憶をたどりながら人生を考える小説を書き続けてきました。
その中で2作目の出世作「浮世の画家」は戦後、絵筆を置いた画家の苦悩を描いています。
「物語の登場人物を決めるのに 芸術家の義務とか芸術家にのしかかる様々な影響とか重荷にについて色々と問いかけてみたかったんです。特に浮世の画家では日本やヨーロッパで人々がたどった運命のようなものについて興味を持ち始めました。世界大戦とかファシズムだとか軍国主義の時代に育った人たちは必ずしも悪い人ばかりじゃなくて誠実な人もたくさんいました。ごく普通の人だったが故に歴史の波に揉まれてしまったんです。平穏な暮らしをしたいと、何か自分にできることはないかと、ただただ頑張っていただけなのに当時の情勢に流されてしまったんです。そして年老いてから、いったい自分は何に貢献してしまったのかと恥じるわけです。これが2作目を書くにあたって特に着目したかったテーマなんです」。
物語の舞台、終戦直後の日本。
主人公の小野益次が自らがたどってきた人生を回想する形で物語は進みます。
戦前気鋭の日本画家森山誠二。
通称モリさんに弟子入りした小野益次。
師匠の求める美に共鳴する小野は将来を嘱望されていました。
作家・宮崎優さん
そんな師匠。モリさんの絵の制作が現代作家に依頼されました。
ドラマでは小野が師匠の作品について力説する場面があります。
「きりっとして見れるのはこの独特の視点のおかげだ。おそらく先生は物事をいつでもお決まりのつまらなアングルから見る必要はないと言っておられる」
そこに描かれているのは結い上げられた髪を下ろした夜の遊郭に身を向く女性。
薄明かりに浮かぶ手と黒く透き通る長い髪。
畳の目のわずかな陰影までもが描かれています。
浮世には享楽的な色ごとやそれを楽しむ遊郭という意味があります。
まさにこの絵はそんな浮世の世界を描いていました。
この絵の制作者は独学で日本画を学んだ新鋭の作家・宮崎優さんです。
小説の限られた記述から誰も見たことのない絵を描き出す試み。
宮崎さんもこうした依頼を受けるのは初めてのことです。
現代的な美人画を手がけてきた宮崎さん。
幻想的な世界を世界を精緻に描き出します。
革新的な技術で描かれた日本かというモリさんの表現にうってつけだと抜擢されました。
浮世の繊細な世界観をどう表現するかが課題でした。
「女性の中の光と影そのものを表すのに墨で髪を書くというのが一番すごく私がしっくりくると言うか、美しいのではないかと。水の動きから出る柔らかい空気感っていうのは日本がならではなのかなと思う思います。まったく今までとは違いますね。もう女性の表情が特にそうなんですが、描いている途中であこれはモリさんの絵になっているのかを改めて見てみて思いました。普段の多分私が見えてるからは生まれてこないだろうなという絵でそういう仕草ですね」
特に宮崎さんが悩んだのは細部の描写。
試行錯誤の繰り返しでした。
「畳の目をどうしようかと悩んだんですね。畳の目を描くべきかどうしようかってなって、ここで最後にとらわれているから駄目だっていう風にちょっと否定はしてたんですけども。お弟子さんたちが作品を見てすぐの辺りを塗りつぶした技法を見てみろすごいなーっていう風に言われてたんですけども、あそっか描いてから塗りつぶせばいいんだって思って。塗り潰すことで主張しすぎずに空気感が出せるように自然な畳の表現がもしかするとできるかもしれないと思って、一度できるだけ描き込んでから塗りつぶしをしてみました」
享楽的な色事などの世界という意味を持つ浮世。
そこに宿る美が何なのか宮崎さんは考えました。
「小説全体に光と闇のゆらぎと言うかそれは反復が本当にすごく強くあるなって感じていて、浮世の風俗もまさに光と闇の境界線と言うか、曖昧なところに存在してるのかもしれないなという風にも感じて、私自身の作品も女性の中の光と闇を表現するところが美しいと感じる。女性の中にそういうものがあるので、そこがすごく通じるところもあったりするのかなとは思いました。モリさんが愛した世界っていうのがいろんな文化の美しいところが詰まっていたり、そういうところですといろんな人が集まってくると思うんですけども、そういう人と人とのつながりであったりそういうものをもしかしたらとても大切に尊いと思っていた人なんじゃないかなと思って、その人が見た絵っていうものをよく想像するのが楽しかったです」
物語で小野益次は次第に享楽的に日々を過ごす師匠に疑問を抱くようになります。
師匠が目指す浮世の美を信じることができなくなった小野は全く別の道を模索します。
そして完成した一枚が画家人生の大きな転換点となります。
それは戦争の足音が近づく中で描かれた戦意を高揚させるような絵でした。
そして小野はこの絵が元で師匠とも決別します。
「僕の良心がいつまでも浮世の画家でいることを許さないのです」。
現代アーチストの近藤智美さん
物語の重要なカギとなったこの絵を制作したアーティストを訪ねました。
現代アーチストの近藤智美さんです。
鋭い観察眼で様々な要素を大胆に組み合わせた不可思議な作品。
人間というモチーフを登用や西洋の古典技法や引用を用いて描いてきました。
主人公の精神を理解し説得力を持った絵を描くことは簡単なことではなかったと言います。
「その人の環境と時代背景とその背負っているトラウマだったりそういったものから、こういう画風だろうなぐらいは想像は出来たんですけど、その時代だったら油絵はこういうタッチだろうなとかの技術面では大丈夫とは思ったんですけど、そこから役になりきらないと確かに書けない部分はありまして、小野益次の思想に全然入れないっていうところは、それこそ自分を鼓舞して勘違いして描くと言うか」
近藤さんは今回の依頼をきっかけに戦争と絵画の関係に正面から向き合うと、ある場所を訪ねました。
展示されているのは戦時中の暮らしにまつわる品々。
広島県生まれの近藤さん。
幼い頃に聞いた戦争の話は怖く嫌な気分になるばかりで、戦争をモチーフに絵を描くことはずっと避けてきました。
「最初に見たときは気持ち悪いと思いました。その痛み方ですかね。痛み方。劣化カの仕方。資料として。日の丸はこのサイズって何でしょう。女の人とか子供が降るようなサイズなんだろうなとか。なんか今まで気にしてなかった問題っていうものがもっと前後もっと広く調べないといけなくなってきた気になって」
近藤さんは戦時中を生きた画家たちがどんな絵を描いていたのかを調べました。
真っ先に気になった画家がいました。
それは藤田嗣治です。およそ100年前。
小野あの絵が書かれた頃にフランスで活躍していました。
藤田が描く裸婦像は乳白色の肌と呼ばれ、パリで絶賛を浴びました。
まさに若き小野益次が目指した浮世に通じる表現です。
しかし戦争が藤田の運命を大きく変えます。
日本に戻った藤田は軍部の要請でいわゆる戦争画を精力的に制作します。
アメリカ軍に追い詰められながらも突撃して壊滅した日本軍を描きました。
まさに藤田も小野益次のように戦意を高揚する絵を描くようになったのです。
藤田は戦争画を描いて「この世に生まれた甲斐のある仕事をしました」という言葉も残しています。
有名無名、多くの画家たちによって描かれた絵画。
戦意高揚のための絵画それらは広く国民が鑑賞できるよう日本各地を巡回しました。
そのイメージは人々が戦争へと向かう時代の空気を作り出していたのです。
時代の流れに翻弄された画家たち。彼らの内面を近藤さんは想像しました。
「そのノリに乗ってる感じっていうのは何がそうさせたのかが気になっていたのか。なんとなくちょっと謎が解けそうな気がする。いろんな考えがあっても描いてる時には思想とかテーマとかコンセプトは飛ぶので、そういった意味ではなんかただ筆が乗ってあの作品が仕上がったその後に考えたりしたことはあったと思います」
当時の画家たちの描写なども参考に、小野益次のあの1枚を完成させました。
小説の記述に基づいて描き入れた赤い独占の文字。
それでも若者は自己の尊厳を守るために戦う覚悟を決めている。
言葉とともに描いたのは次世代を担う若武者のような3人の少年たち。
鋭い目つきでこちらを見つめています。
それまでとはかけ離れた題材に決意を持って挑んだ小野益次。
そこには恐れや戸惑い葛藤もあったのではないか。
近藤さんは何度も塗り直し、画面を汚すような描きかたをしました。
そして繊細な日本画からは一転、腕力に任せる筆使いだったのではないかと考えました。
少年たちの背景には大きく描かれた日の丸。
国民の精神に訴えかける象徴として近藤さんが描き加えたものです。
浮世には今の世の中という意味もあります。
これは小野がその時代に向き合う中で生まれたもう一つの浮世の絵だったのです。
享楽的な色事の世界から今の世の中という意味の浮世絵。
二つの浮世に揺れた主人公について近藤さんは思いを寄せます。
「あたりまえだけど、浮世をこんなに最後までずっとこだわってる主人公の浮世から離れて行きたいって言うその執着が気になってきて、でも浮世って調べると本当はの現実がツラいこの世の中のことを差すっていうの出てきたので、それは浮世離れって言葉から、浮世離れだったら浮世離れて現実から離れたのにお花を手では浮世は現実になるんじゃないかと思って、それで調べたらやっぱり二つの意味があるんですよね。こんなに浮世を馬鹿にしてるけど現実なんですよね。私が浮世は真実だったと言ってたんですけど、自分が浮世の画家という自称はどちらかとかは思いますけど。時代に流されてなんぼとか思いますし」。
浮世という言葉の多義性について
浮世って言葉の多義性っていうのを意識されていたんでしょうか
「ええもちろん。英語でも日本語でもいけるだろうとね。この日本語が遊郭や赤線などで働く人たちの間で使われていたことも十分知っていました。水商売といって、水、流れる、浮くという意味で関連性があります。そして文学的にはもちろん、束の間の喜びをつくするるといった意味があります。小野が一生浮世の画家でいるのは嫌だという場面があるでしょう。皮肉にも小野はより現実に即していて、より永続的だと信じるものを懸命に追求するんですが、結局そっちも浮世の一部でしかないんです。それでタイトルは浮世の画家としたんです。浮世をという芸術の世界を捨てたと思った彼が、一生かかって見つけたものは結局浮世だったわけです。小野はずっと浮世の画家で、多分私たちが生きているこの世の中自体が浮世なんだと思います」
今回イシグロさんに近藤さんが制作した絵を見てもらいました。
「まるで想像していた通りです。この小説を書いている時こんな絵を想像していました。この画家が僕の頭の中に住んでいるみたいですね。小野の葛藤が見えてきますよね。このスタイルについてなんとなく心を落ち着かない自分と、いやこのスタイルでやらねばと言い聞かせる自分がいるんです。情熱やエネルギーが新たな方向に動いていくのが見て取れます。葛藤が現れていますよ。彼はなんとも醜いこのスタイルをどうにか受け入れようとしているんです。受け入れなきゃダメだと言い聞かせているんですよ。この絵は実に巧みに描かれていると思います。これまで話してきた葛藤というものが絵の中に捉えられていますからね」
小野益次が求めた二つの浮世。芸術家は自分の世界の追求と現実の社会との間でどうバランスを取ればいいのでしょうか。
「これは私たち皆が直面する難問の一つだと思います。それは芸術家としてだけでなく市民としての義務があるからです。だからこの小説やNHK のドラマの中に描かれている矛盾の多くは普遍的なものだと思います。でも個人的には政治的、歴史的背景を意識した芸術作品に敬意を抱きます。僕はどちらかと言うと芸術家はこの世界での人間としての位置づけを理解するべきだと思うんです。中でも大切なのは自分が政治的、経済的、歴史的にどう存在するのかを理解することです。だから美しい芸術作品を作るにもこれと同じである意味こうした様々な影響関係を理解しなくてはいけないんじゃないかといつも考えています」
師匠の下を離れた小野益次は次々に作品を発表し、称賛と尊敬を集めます。
愛弟子の黒田をはじめと詩、若い画家たちのリーダーとなっていくのです。
しかし1945年の敗戦で小野益次の評価は正反対のものへと変わります。
戦争に加担した者たちが非難される世の中になったのです。
小野自身も罪の意識に苛まれます。自らの責任を感じてか絵筆を取ることもできなくなっていました。
実はあの藤田嗣治も戦後評価が一変し窮地に陥った一人です。
戦争責任追及の矢面に立たされた藤田はある後輩*1から画家を代表してあなたに責任を取って欲しいと頼まれます。
藤田は失意の中、日本を離れ二度と祖国の土を踏むことはありませんでした。
近藤里美さんは画家の戦争責任についてこう考えています。
「小野益次は、やっと自分の表現だっていうものを描いたのにも関わらず結局その戦後それが反転して、結局時代と周りと環境に全部流されて、これは出てきた物っていうことが発覚してしまって、それの小野の混乱というか。GHQは結局、画家は戦争犯罪者リストには一人も入れてないっていうことだったので、それこそ画家の戦争責任っていうのは立ち消えになってるようなもので、そんなに犯罪っていうわけでもなく、その中でその者は一人で紋々と責任を感じながらでずっと葛藤してるんですけど、それって結局世間かなっと。戦争責任っていうよりは、みんなその後の時代の、その世間の目っていうことの方が私はリアルに感じました」
小野は周りの目を気にしている。周りの目を気にしているために自己弁護に自己弁護を重ねる。あるいは自己欺瞞的な発言をすることにリアリティがあると感じられたことですね。
「心理というか、戦争中もやっぱり"お国のために"という精神よりは、故郷に帰った時に、この集落に戻るのが恥ずかしいとか、この村に帰った時に恥である。とか、やっぱり世間の目なんですよね。もっと小さいものだったりとか、縛りっていうものだったりとかが、なんかそういうものの心理がどんどんどんどん教育されたり、働いているっていうのがその、戦争の大きい、流れていく思想っていうのは小さな隣の人の目線だったりとか」
日本では戦後画家の戦争責任を問う声があったわけですが。
「僕は芸術家に限らず人として、懸命に義務を果たそうとした実に誠実な心の持ち主に同情を抱きます。いっぽうで、ある大儀がどんな結果をもたらすのか十分に意識しながら、それに加担したような人。そういう人には強い怒りを感じるし、非難すべきだとも感じます。だから例えばユダヤ人が迫害され、殺されることを分かっていながらそう仕向けるようにプロパガンダにユダヤ人を描いたような人間に対しては全く同情の余地はありません。こういうことをした画家は非難するべきだと思います。だけどほとんどの人間は自分が歩んでいる人生に関しては視野がすごく限られているんですね。大体は自分の小さな世界の中で人生を送ることになって、囲いの外を見ることは非常に難しいんです。社会に生きるごく普通の人間が自分の行為が後にどのような影響をもたらすのか見定めることが大変難しい。そういうことを言いたかったんです。だから当時を振り返って、奴らはあんなことをしたじゃないかと早まって非難しちゃいけないと感じるんです」
今回、もう一つ制作された絵があります。
それは戦後、絵から遠ざかっていた小野がある場所で出会う絵です。
かつて小野が目指した浮世を連想させる振り返りざまの女性の姿が描かれています。
この絵を手がけたのは日本画家の福井欧夏さんです。
「キーになるような絵になればいいなと。僕は一枚しか絵を描かないので。
小説の記述から構想を膨らませました。
「家の壁にひっそりと言うか飾っているのを小野さんが見つけるわけですけれども、普通の家に絵が飾ってある場合壁の一部分として見えてくるような印象なんじゃないかなと。少し暗い壁の中で人物自体が浮き上がってくるような感じに見えるんじゃないかなあと。見えて欲しいなあと」
実際にドラマで小野益次が絵を目にする場面です。
吸い寄せられるように小野は歩み寄ります。
絵筆を置いていた小野は、絵描きの道を歩み始めたばかりの若者を誉めます。福井さんにとって、小野が発したこの言葉が制作のヒントになりました。
「小野がほめたということに関して言えば、うらやましかったという部分があるんじゃないかなと。自分が作家でありつつそういう過去を持っていて、今なにもやっていない。で、その絵を見たときにふっと。すべてが走馬灯のようにバーッと回ったっていうのじゃないですけど、感覚的に自分が求めてきたなにか懐かしいものを感じたり、何物にも制御されることなく自分の好きなものを描いてた時代とかそういうものが懐かしいなあいいなあいいなあと、みたいなことがあったんじゃないかなって思うんですよね」
小野の琴線に触れた一枚の絵画。
柔らかく添えられた手と今にも開きそうな口元。
その一瞬に宿る美を作品に込めようとしました。
女性が儚げに佇む姿です。こうした世界観で描いたのには理由がありました。
色事や今の世の中を表す浮世には、もう一つ辛くはかない世の中という意味もあったのです。
「浮世ってのは、はかないとか浮世の画家っていう感じだから、その一瞬の時を過ごした画家と言うか、勝手な解釈ですけどね。自分の解釈でいえばこれはそのタイトルって面白いのです。ほとんどの作家は浮世の画家じゃないかなと思ってんですよ。僕の作品なんか特に儚くて美しい時って 内容を求めて僕描いてる。悲しい情景のはずなのに皮肉にも美しく見えちゃうっていう時ってありましたが、その瞬間が。僕その美しさがすごい好きなんですよねなぜか。今一瞬その表情っていうこともそうだと思うんですよ。その表情じゃなきゃダメ。同じポーズをとっていてもこの今の瞬間が一番いい。でもはかないがゆえに消えてしまう。それを描き留めたい」
タイトルの浮世の画家っての言葉であるように、イシグロさんは芸術というのもどこかしらその儚いものであるというふうにお考えですか。
「ほとんどの人は、自分が生きている時代と何らかの形で関連している芸術に価値を見出すんです。そして世界が変わるとともにその芸術の意味も変わるんです。僕ら芸術家の作品がいつまでも変わらないなんていう期待は出来ません。人生の中で永遠なるものを掴むことが大変難しいということは僕にとってとても大切なテーマでもありました。芸術で言えば数々の儚いものをはかないものとして祝福しようではないかという発想から生まれたものです。美というものは束の間の中にだけ存在する。そしてそれを掴めるのは一瞬だけ。一瞬にして消えてしまうものであることの喜び。だからなおさら尽くしたいという発想から生まれたものです。美や真実が一体どこに存在するのかという問題は僕にとってすごく重要なんです」
あらためてイシグロさんに芸術とは何かを尋ねました。
「芸術をはっきりと定義することはできないですが、僕にとっては絵画を見たり音楽を聴いたり本を読んだり映画を見たりした時に心を動かしてくれるようなものなんです。何らかの形で感動したい。別に涙が止まらないとかそういう意味じゃなくて、怒りや悲しみや、さらにもっと複雑な感情をもたらすようなもの。つまり心を引くようなものです。そうでなければ僕にとっては芸術作品とは言えません。人間がお互いに心を通い合わせることができないようなものなら、それは僕は興味がありません。人々が人生について考え、思い感じていることを共有する。これは全ての人が持つ本能で、この本能が生きているということはこういうことなのか。この感覚を共有したい。君も同じかと呼びかけているんです。これが強く根本にあって、人間であること。人々が集い、社会ができて関係を築き、結婚して家族ができ親子の絆を結ぶための非常に貴重な要素だと思います。これらは人間にとってすごく大事なことだと思います」
33年前にイシグロさんが著した一篇の小説。
そして現代を生きる作家たちによって生み出された3枚の絵。
小説の中の人物たちを思い、絵を描くことによってその時代や人物の内面を想像する。
それは芸術の持つ力を改めて感じさせるものでした。
取材先など
近藤智美
1985年 広島県生まれ
18歳で上京、渋谷でマンバギャル(ガングロと言われたヤマンバの第2世代)を経験、ギャル文化の終焉を見届けたのち、絵を描き始める。2011年 初個展 「フォアグラプール」(アートラボトーキョー)を開催。2012年「VOCA展」(上野の森美術館・東京)出品。2013年「LOVE展」(森美術館・東京)。他グループ展多数。ロックバンド頭脳警察のCDジャケットも手がける。人間というモチーフを古典技法、様々な引用を用いて抑制したタッチで描く。
1968年広島県生まれ。95年武蔵野美術大学大学院修了。現在、白日会会員、日展委嘱。今春発表の《三美神》では、ベネティアンレースのドレスを仕立てた上で制作。作家ならではの優美でおおらかな女性像にさらに豊かな奥行きが。ドローイング作品は、そうした画家の制作過程を透視できることで好評、それだけでの展覧会も開催されるほど。
宮崎優
山口県在住。大阪府立港南造形高等学校卒業。独学で日本画を学ぶ。2016 年6 月、銀座かわうそ画廊で東京初個展。アートフェア神戸アートマルシェ2016 出品。
【作品紹介2】 久下じゅんこ個展「硝子の庭園」より | 銀座かわうそ画廊 - 楽天ブログ
8Kスペシャルドラマ「浮世の画家」
物語の舞台は終戦から数年過ぎた日本。主人公は高名な初老の画家。
焼け跡から徐々に復興の姿を見せていく街で、隠居老人の一見平和な日常生活が描かれていく。
愛すべき孫の訪問、なじみの飲み屋のママとの世間話、戦前からの旧友との邂逅(かいこう)…。
あるとき娘の縁談が持ち上がり、そこから周囲の視線の変化に気づき始める…。
確固たる決意で国のために尽くしてきた自分が、何故非難されなければならないのか。
その一方で、過去の影に滑稽なほどおびえる自分の弱さも認識していく…。
人の心の弱さから生まれる「悲劇」、そして思い違いから生まれる「喜劇」。
繊細で緻密なカズオ・イシグロの物語を最新8K撮影で映像化。独特の世界観を丁寧に描きだします。
【放送予定】
NHKBS8K 2019年3月24日(日) 21:00~22:30
NHK総合 2019年3月30日(土) 21:00~22:30
放送記録
書籍
展覧会