チャンスはピンチだ。

響くアートの愛好家

日曜美術館「凛として 写真家・大石芳野」

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写真家・大石芳野さんのまなざしが向かうのは、戦禍にさらされた女性や子供たち。

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困難の中でも凛として前を向く姿に心打たれた。長崎の被爆者取材に同行し創作の秘密に迫る。

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「戦争は終わっても、終わらない」そう語る写真家・大石芳野さんは半世紀にわたり世界の戦争を取材してきた。

そのまなざしが向かうのは、弱い立場の女性や子供たち。

戦禍の犠牲となりながらもまっすぐに前を向く、凛とした姿に心打たれた。

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今大石さんは、「やり残すことができない仕事」と長崎の被爆者たちの写真集に取り組んでいる。

取材に同行するとともに、東京都写真美術館での作品展を紹介、写真家としての全貌を伝えたい。

【出演】写真家…大石芳野,【司会】小野正嗣,柴田祐規子

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日曜美術館「凛として 写真家・大石芳野

放送日

2019年4月14日

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ベトナム戦争の傷がいえない農村で、一人の女性に出会いました。激しい雨の中、山道を急ぐ女性。

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カメラを向けると微笑みを返してくれました。その表情が忘れられません。

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「あの長く苦しい戦争を生き延びて、凛として生きているっていうことのすごさというか、それにとても影響をうけましたね。そういう人たちだと」。

戦火にさらされながらも凛として生きる人々に心打たれるという大石芳野さん。日本や世界各地の戦争を取材し続けてきました。

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東ヨーロッパ、コソボの民族紛争で家を失った9歳のギゼルちゃん。何にも悪いことはしていないのにと訴えました。大石さんの眼差しが向かうのは女性や子供など立場の弱い人々です。

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大石さんが写真を撮り続けておよそ半世紀になります。

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女性として初めて土門拳賞を受賞するなど、今まで数々の賞を受賞してきました。

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75歳になった今、大石さんにはやり残すことができない仕事があるといいます。長崎の被爆者たちの写真集を完成させることです。

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「眼がね、とっても強い。彼の意思を表してるなあと」。

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あの日から74年。被爆者の高齢化が進んでいます。

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「これはちょっと長崎本気にならないと。あの被爆者の方方はどんどん老いていかれて。これがまとまったら私も歳だし、これで最後の仕事になってもいいかなと思ったり」。

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さらにこの春、写真家人生の集大成ともいえる展覧会が開かれることになりました。大石さんは戦争の犠牲となった人々のもとに何度も通いつめ寄り添ってきました。

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「自分の写真家人生がここになんかこう凝縮されてるって言うね、ちょっと感傷的な気持ちに先ほどからなって、胸がなんとなくざわざわとしてきたりしていましたけど」。

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写真家・大石芳野さんが見つめ伝えてきた世界に迫ります。

 

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今日は東京都写真美術館で開かれている大石さんの展覧会に行ってきました。
会場には162点の作品が展示されています。アジアやアフリカヨーロッパ日本などの戦争の記録です。

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今回の展覧会162点作品がある中で、一番最初の一枚がこちらなんですね。

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ベトナムの女性。80代の女性で、解放軍の兵士の夫と3人の息子、二人の孫を戦争で失った。

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ほとんど家族を全てを失ってる。この写真見て見る者が惹きつけられるっていうのはなんかやっぱこう強い眼差し。瞳の中にですねこれ風景が映ってましたね。世界はこの瞳の中に映っていると思えばこの1枚の写真の中にはこの方が経験してきた過酷な経験ですけれども、そういうものが全てこの人の中に含まれているっていうかそれ強い大変強い写真だなと思いました。
そしてこの瞳の先に大石さんがカメラを構えているって言う事が何を訴えてたのかなってことを思わせるような、力の強さがありますよね。

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大石芳野さんの写真家としての原点はベトナムでの体験にあります。大学で写真を専攻していた大石さんは、戦時下にあった南ベトナム訪れます。そこで大きな衝撃を受けたのです。

「本当に表情の険しい女性もお年寄りも、むろん子どももいて、そこで戦争っていうことの実態を学生時代にどーんと見せつけられた」。

以降大石さんは世界の紛争地域を訪れるようになります。アフガニスタンで出会ったアナルゴさんは35歳。当時のアフガニスタンではアメリカなどの攻撃でタリバン政権が倒れたばかりでした。アナルゴさんは夫を失い、5人の子どもを一人で育てていました。収入は他人の洗濯や炊事の手伝いで得るだけでした。

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これはコソボでの一枚。学校の割れた窓ガラスから少女が見つめています。コソボではセルビア系住民とアルバニア系住民による民族紛争が起こっていました。それまで隣人として暮らしてきた二つの民族がある日を境に憎み合うことになったのです。

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大石さんがカメラを向けるのは戦闘の現場ではありません。戦争が終わってもなお、深い傷を抱き続ける人々の姿です。

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「戦争が終わって災いによって国と国はの調印して戦争というもの自体は終わって、日本もそうですけど、でも私が会った一人一人、一人一人、一人一人。その大勢の一人一人の心の中では、体の中では戦争は終わってないんですよね。だかそのことに何かあのなんか私は無関係でいられないっていうことを思ったんですね。終わっても終わらないその戦争の傷がずっとその人が死ぬまで続くっていう」。

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大石さんはこれまで取材してきた成果を写真集やルポルタージュとして発表してきました。その中にはまだ一冊にまとめきれていない場所があります。原爆の被害を受けた長崎です。

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去年の冬、長崎の取材に同行しました。大石さんが取材を始めたのは22年前。

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130人を超える被爆者にカメラを向けてきました。

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爆心地から500 M の所にある浦上天主堂カトリック教会です。

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かつてのキリシタン迫害の歴史を超えて明治時代に建てられましたが、あの日原爆によって全壊しました。その瓦礫の中から復員した親父が一体のマリア像を見つけました。

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その像は今、信者の寄付によって作られた長生堂に安置されています。

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黒く焼け焦げた被爆のマリア。

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被爆のマリア

信者たちはマリア像が自分達と同じ苦しみを共有していると感じました。

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大司教の高見三明さんは母親の体内で被爆しました。マリア像が発見されたのも神の導きだと言います。「その時にそれが落ちたんだというその事実を空想ではなくこう突きつけられるのでいう感じがありますね」。「たくさんあった瓦礫の中にたまたまこの頭の部分があったということがまたすごい。私たちは摂理というけど、偶然ではなくて」。「そのお話には驚きました」。

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マリア像と共に高見さんは世界を周り平和を訴え続けています。

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「長崎ならではの坂を上がりますね」。

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川口和男さんです。川口さんは30年前に市役所を退職。子どもは独立し、妻と二人で暮らしています。大石さんは3年前から川口さんの取材を続けています。

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川口さんは16歳で被爆しました。学徒動員で爆心地から8 km 離れた造船所で働いていた時のことでした。

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「当時の地図です。これが爆心地です。お宅はどの辺でしたか、川のところでしたよね、確か」。

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爆心地から1.7 km の距離にあった自宅は全焼しましたが、家族は全員助かりました。

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「戦時中の日記毎日書いてたから」。

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川口さんは毎日絵日記をつけ、そこに新聞で知った戦況を書き写していました。

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「やっぱ負けないぞっていう意識が頭の中に働いて、アメリカに対して自分を鼓舞するために書いていた」。絵を描くことが好きだった川口さんですが、原爆の記憶は長い間絵にすることができませんでした。描けるようになったのは50年以上経ってからでした。「原爆そのものが思い出したくないっていうこともありまして、遠ざかっておりましたけれども、徐々に描けるようになりました。あんな悲惨な状況は頭の中に今でも残っております。それをこう絵にだいぶたってから表現して描いたわけですよ」。被爆直後の長崎。川口さんの心に焼き付いた光景です。爆心地付近では動くものは何一つありませんでした。立ったまま命を落とした人もいました。寄り添うような骨だけの遺体。川口さんは家族が一瞬にして焼かれたのではないかと思いました。「取り壊した家の材木を使って原爆で焼けた人を焼くのに使っていた。戦争って終結したんだと思いますね」。 70年以上たった今でも忘れることができないあの日。川口さんは悲劇を繰り返してはならないと原爆資料館などに絵を出展し続けています。

 

取材先など

 

放送記録

av98ingram.wpblog.jp

 

書籍

展覧会