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日曜美術館「踊らばおどれ~一遍聖絵の旅~」

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国宝・一遍聖絵鎌倉時代時宗の祖である僧侶・一遍の生涯を描いた絵巻。

最先端の技法以外にも当時の人々の暮らしを知る貴重な資料となっている。

作品の魅力をひもとく。

日本最古の絹本絵巻である聖絵は、裏からも彩色されることで肌の濃淡など細かな表情を生み出した。

そして爆発的な信者を生み出した一遍の布教の様子がわかる。

救いがないとされた物乞いや病人でも念仏を唱えれば極楽浄土に行けると説いた一遍。

その究極の祈りの形が踊り念仏。

踊り念仏とは何か?そしてなぜ生まれたのか?

一遍の生き方に心酔してきた舞踊家田中泯さんが絵巻に描かれた発祥の地を旅しながら一遍の思想に迫る。

【ゲスト】舞踊家田中泯,政治学者・作家…栗原康,【司会】小野正嗣,柴田祐規子

日曜美術館「踊らばおどれ~一遍聖絵の旅~」

放送日

2019年5月12日

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一遍

足を跳ね上げ、激しく床を踏む僧たち。踊るその中心で踊っているのが鎌倉時代の僧侶一遍です。

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南無阿弥陀仏という念仏を唱えるだけで極楽浄土へ行けると説きました。

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国宝 一遍聖絵

国宝一遍聖絵。一遍の生涯や不況の様子を描いた鎌倉時代の絵巻です。

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描かれているのは一遍の姿だけではありません。鮮やかな色彩で彩られた日本各地の雄大な自然。

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富士山や厳島神社などの名所の数々も描かれていますそ。

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そして様々な階層の人たちのさりげない日常風景。

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一遍と共に息づいていた中世の風俗や生活が生き生きと広がります。

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踊念仏

念仏を広めようと日本中を歩いて旅した一遍。そんな一遍がたどり着いた究極の祈りが念仏を唱えて踊る踊り念仏。日本中に一大ブームを巻き起こします。

 

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舞踊家 田中泯

踊り念仏とは何だったのか今回寝巻きに書かれた場所を舞踊家田中泯さんが訪ねました。

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「踊ることによってあるところにステップアップ自分をさせられるという意味ではすごいと思いますね」

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日曜美術館「踊らばおどれ~一遍聖絵の旅~」

独自の教えで人生を駆け抜けた僧侶一遍の唯一無二の旅の軌跡。鎌倉絵巻の最高峰。一遍聖絵の世界にご案内します。

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今日は京都国立博物館に行ってきました。今ここでは国宝一遍聖絵を見ることができます。全部で12巻にも及ぶ壮大な絵巻なんですが、中でもハイライトシーンがこちらです。

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鎌倉時代仏教の変革の動きの中で生まれた時宗の開祖一遍。

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彼の生涯を描いた一遍聖絵は全12巻。総長135メートルにもなる超大作です。今回その壮大なスケールを味わうため、一遍聖絵の複製を並べてみることにしました。

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絵巻は弟子の聖戒が書いた言葉書き。いわゆる説明文と、絵師円伊が描いた絵がセットで展開していきます。一遍の人生にとって重要な出来事が48の場面に分けて描かれています。その旅は北は東北から南は九州までに及びます。自分の教えは一代限りだと、死の直前書いたものを全て燃やしたという一遍。聖絵はそんな一遍について知ることができる数少ない資料。

 

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一遍の死の10年後に弟子たちが中心となり完成させました。

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今回京都国立博物館で展示された国宝一遍聖絵

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まず驚くのは絵巻の素材。通常は和紙で作られますが聖絵は絹で作られています。

f:id:tanazashi:20190519192334p:plain日本最古の絹本絵巻です。この絵巻には一遍を取り巻く自然などの風景描写が多く描かれています。そこには絹地ならではの緻密な描写が見られます。

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例えばこちらの雀の群れ。

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一羽のサイズはほぼ8 mm。羽根の模様まで丁寧に描かれています。

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絹地はきめ細かいため絵の具や墨のにじみが広がらず細密な表現が可能になるのです。

 

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もう一つ絹地ならではの秘密がありました。それを一遍臨終の場面で紐解いてみます。

f:id:tanazashi:20190519192354p:plain様々な身分の人々が一遍の死を嘆き悲しんでいます。

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その一人一人の表情を描き分ける技法があります。絵巻をひっくり返してみるとわかります。

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裏彩色

裏からも色を塗る裏彩色です。絵の具を裏からも重ねることで肌の濃淡など微妙な表情を描き分けることができるのです。

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井波林太郎

さらに一遍聖絵には当時の最先端ともいうべき独自の技術が用いられていました。

例えばこちらの岩山岩の一部に緑や青が塗られています。典型的な平安時代のやまと絵では山を塗る際にこの色を使います。一方岩肌を描く際の荒々しい墨の線。当時中国から輸入されたばかりの水墨画の技法です。この場面ではやまと絵と水墨画二つの技術が融合しているのです。「この絵巻を書いた画家は伝統的な大和絵とか新しい水墨画の技法とかでこういったいろんな各地の風景というのを学ぶことができた当時最高の位置にいた絵師だったのではとないかと考えられます。風景の緻密な描写とか表現の仕方っていうのもこれだけ高い次元で完成させてる作品としてやっぱり鎌倉時代のもう一つの最高傑作ではないかと考えています」。 一遍聖絵の魅力は技術のすごさだけではありません。こちらは一遍が備前、今の岡山を訪れた場面です。一遍の周りに描かれているのは市場で様々な物を売り買いする人々の姿です。魚をさばいている人。米を升ではかる人。こちらでは女性が反物を選んでいます。一遍聖絵は当時の人々の風俗や日常生活を知る貴重な資料となっているのです。中世の歴史の専門家五味文彦さんです。20年以上一遍聖絵を研究してきました。

「高僧の伝記というのは高僧がいかかに素晴らしい業績を残したのかクローズアップしてそれを中心に描かれていますが、この絵を見ていくと一遍はどこにいるのか。」

 

旅の絵巻でもある一遍聖絵。そこに隠された絵師、円伊の意図を探るため愛媛県久万高原町を訪ねました。岩屋寺です。やってきたのは舞踊家田中泯さん。身一つで踊り念仏を広めた一遍に親近感を抱いてきました 絵巻に描かれた岩屋寺です。一遍の故郷である松山の郊外にありました。一遍は35歳の時、岩山をはしごで登るようなこの険しい仰臥におよそ半年間籠り修行しました。一説によると円伊は実際にこの地を訪れて描いたと言われています。本堂の前に立ち比較してみます。田中泯さんあることに気がつきました。


10歳で出家して浄土宗を学んだ一遍。還俗して武士の生活に戻ったものの33歳で再び出家します。それは一族の所領争いに巻き込まれたり、二人の女性との愛欲に苛まれたりしたのが原因でした。煩悩や欲望を振り払うように一遍は地位や身分など全てを捨てたのです。そして人はどのように生きるべきか。一遍は徹底して思索します。ふるさとの寺にこもりひたすら念仏を唱える生活を3年間続けた後、一つの悟りを得ます。絵巻の詞書には一念往生弥陀国という記述があります。あらゆる人々を救うと言っていた阿弥陀仏の願いは叶っている。だから一度南無阿弥陀仏の念仏を唱えるだけで、極楽浄土に行くことができる。一遍は念仏を唱えることで仏と一体化できると悟ったのです。念仏の素晴らしさを広めようと、一遍は南無阿弥陀仏と書かれた念仏札を配る旅に出ます。一遍が生きた鎌倉中期から後期にかけては飢えや貧困が広がり人々は死と隣り合わせで暮らしていました。そして1274年。一遍が布教を始めたまさにその年。モンゴル帝国が日本を攻撃した元寇が起こり日本中が脅威にさらされます。そうした政情の中、世も末だと思う民衆が一遍の周りに集まります。誰もが一回の念仏で仏に救われるという一辺の教えはわかりやすく、次第に人々に広まっていきました。絵巻には一遍の思想が深まる重要な場面も描かれています。それは和歌山県の熊野本宮を参詣した時のこと。熊野権現が一遍の前に現れこう告げました。相手に信じる心がなくても、どんな身分の人にも念仏札を配りなさい。一遍はこの後どんな人に対しても念仏を広めようと布教に力を入れます。そうした思想が絵巻にも反映されています。ここに書かれているのは物乞いなど身分の低い人々。さらにハンセン病を患う人たちも描かれています。当時彼らは汚れた存在とみなされ、それは前世の報いだと思われていました。一遍はそうした人々にも札を配り、救いの手を差し伸べたのです。「お前らみたいな奴らがいると世の中じたい全体が悪くなってしまうからってことをずっと言われて、彼らとしたちょっとそれを内面化せざるを得ないところがあったんだと思うんですね。こんな自分が生きていていいのかと。でも一遍上人のようにむしろそうじゃなくて、そのままでいいんだよと。むしろその世の中から負の存在であるって言われてるとしたら、負で何が悪いんだと。その汚くて上等ロクでなしでも上等ですと。だからむしろそう言ってくれる存在がいることによって彼ら自身にとっては本当に救いになったと思います」。一遍の教えが共感を呼び、念仏を 人が増える様子が絵巻では見て取れます。こちらは年の暮れ。皆でひたすら念仏を唱えている場面です。念仏三昧になることで極楽浄土を感じようとしました。集団で念仏を唱和していく中で念仏はいつしか歌のようになっていたと言われています。さらに絵巻には僧侶達が集団で踊りながら念仏を唱える様子が描かれています。踊り念仏です。歌に踊り一遍の教えはいつしか体全体の表現となりました。誰もが参加でき、どんな人にも分かると爆発的に広がっていったのです。「一遍の答えはとりあえず念仏を唱えるって言うんです。みんなハーという感じになるんですけど、唱えればわかる。唱えればわかるって言って本当に一遍は三日三晩とかでも修行とか本当にずっと唱えていくんです。集団で歌っている。歌の中から自分を超えた自分の力。人知を超えた不可思議な力を感じざるを得ないとか、そういう力の中から仏はこういうものなのかと。仏に救われて目的とかそのすらなくても、なんか一緒にい20人30人で町とかでなむなむなむな使って渡したらみんな面白そうだから飛び込んでくるわけですよ。一緒に歌ってみたり一緒に踊るだけで本当に誰も分かる思想だったじゃないかなと思います」。

スタジオ

一遍の踊念仏

一遍の踊り念仏にはどんな意味があるのか。その謎を探るために田中泯さんが発祥の地といわれる長野県佐久市を訪れました。「一遍さんは踊りを念仏と一緒にですよね。素朴な意味での踊りに近いものがそこにはあったんじゃないかなっていうふうに思います。その好奇心がすごく強いです」。まず向かったのは佐久市跡部地区。国の重要無形民俗文化財に指定された踊り念仏が今も伝わっています。毎年4月。この西方寺で地元の保存会の人たちによってを踊られるのです。寺の本堂の中に仕切られているのが舞台です。南無阿弥陀仏と書かれた衣装を着た踊り手たちです。念仏を歌のように唱えます。太鼓のリズムとともに踊りも変わります。踊り手は金と呼ばれる鼓を叩いています。聖絵の中で一遍が持っていたものと同じ形をしています。実は女性達が踊っているこの仕切りの中は浄土。つまりあの世の世界だと地元の人たちはいいます。踊り念仏の場がなぜあの世なのか。泯さんが次に向かったのは同じ佐久市内の小田切です。ここに踊り念仏発祥の地があるというのです。案内してくれたのは教育委員会にも勤めていた丸山正俊さんです。地元の小学校の裏手にある高台を登っていきます。丸山さんは踊り念仏の発祥の地はここだと教えてくれました。それを描いた絵巻の場面がこちらです。中庭では僧侶や武士、地元の人が混じり、円形になって踊っています。手には鼓ではなくお椀やお盆らしきものを持っていて、急に踊りだしたことを物語っています。場面の左側に武士の館があり、その縁側で拍子を取っているのが一遍です。絵巻には小田切の里という文字があり、庭は崖の上の高台にあったことがわかります。踊る人々の上に描かれている墳墓は一遍のおじ河野通末の墓だと言われています。この場所で今から90年前不思議な発見がありました。この土地を掘ると中から壷が出てきたのです。これがその時発掘された壷。中には骨が入っていました。地元の郷土史家達は一遍のおじ通末のものではないかと考えました。さらにこの壺の形が驚くべきことを物語っていました。一遍が立つ縁側に書かれている壺の形にそっくりだったのです。さらに絵巻にある墳墓の脇の墓石らしきもの。その形にそっくりな石が現場にあったのです。「小田切踊念仏を始めたそれがおじさんの通末の供養ではないか」。この場面の絵巻の言葉書きには、念仏を唱え仏を見る者は躍り上がるほどの歓喜に包まれるであろうと記されています。一遍は和歌を読みました。跳ねるならはねなさい踊るなら踊りなさい。春の馬のように。仏の道を知る人は知るのですから。一遍の叔父を供養するために念仏を唱えながら踊り始めた人々。やがてあの世。つまり浄土にいるかのような気分になり、喜びを爆発させました。これが踊り念仏の始まりだったのです。「踊りは自分のことを表現することなくて、何かが私の体を通過していく。だから、とんでもないものを見た時にそれが私の体を通過して、誰かに伝わっていくというコミュニケーションの道具だったんです。 今の時代のように、言葉を平気で裏切る人たちがどんどんどんどん世の中に出回ってきている時代に、言葉を取りますかそれとも体を取りますかっていう質問が今こそ大きな意味を持ってるかもしれませんね。言葉がまだそんなに理解できない人達に、いつか体が教えてくれるよっていうようなこともひょっとしたら一遍言いたかったのかもしれん」。絵巻の最後一遍臨終の場面です。その言葉書はこう締めくくられています。この絵巻が100代後の時代においても導きとなり、千年の後の人々の道しるべともなるのではないでしょうか。700年の時を経て、鎌倉時代から受け継がれてきた一遍聖絵。まさに日本の国宝です。

スタジオ
 

取材先など

5/12 NHK Eテレ 日曜美術館「踊らばおどれ~一遍聖絵の旅~」 | Min Tanaka |Rin Ishihara ★Dance★ Official Web Site★ 

NHK Eテレ日曜美術館『踊らばおどれ~一遍聖絵の旅~』を制作しました - Planet Film

放送記録

av98ingram.wpblog.jp

 

書籍

展覧会