野蛮と洗練
加守田章二の陶芸
20世紀後半。絶えず作風を変えながら陶芸会を疾走し49歳で亡くなった加守田章二。荒々しさと緻密さが共存する加守田の作品展が開かれています。
1959年陶芸家として独立した加守田が最初に創作を始めたのは栃木県の益子でした。当初はろくろを使って造形し釉薬には灰釉を用いていました。
側面が直線的に立ち上がった鋭い印象の鉢や壷は専門家から高い評価を得、多くのファンを獲得しました。
しかし10年ほどが経過すると加守田は突然製作の拠点を岩手県の遠野に移します。
そこで生まれたものは陶芸界に大きな衝撃を与えました。
手びねりで作られた複雑な多面体。その前面に規則的な波状の模様が施されています。
遠野の土は多くの石を含んでいるため器の表面は粗くざらついています。しかし竹べらで丹念に彫り込んだ文様にはある種の静けさも感じられます。
加守田の作風はなぜここまで変わったのでしょうか。
「遠野に行って曲線を彫った文様というのが現れるわけですけれども、これには諸説がありまして。
鳥居の木目であったり、風紋ですとかま自然の風景から感想を終えたというような指摘もあります。しかしどれが正解かということはわからないわけですけれども、加守田にとっては新しい土を使って、でもそこに新鮮な気持ちがあったであろうということは想像ができます」。
さらに加守田は彩色にも挑戦していきます。独特のねじれた造形が紋様と有機的に絡み合っています。
私は陶器が大好きです。しかし私の仕事は陶器の本道から完全に外れています。私の仕事は陶器を作るのではなく、陶器を利用しているのです。私の作品は外見は陶器の形をしていますが、中身は別のものです。これが私の仕事の方向であり、また私の陶芸個人作家観です。
80年代に入ると加守田の作陶はさらに洗練された形と色に向かっていきます。しかしその体は病に侵されており、1983年49歳の若さで亡くなります。最後まで新たな表現を追い求めた加守田章二。
会場:菊池寛実記念 智美術館
会期:2019年4月13日~7月21日
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