チャンスはピンチだ。

響くアートの愛好家

日曜美術館「3000の数奇な運命~松方コレクション 百年の旅路~」

f:id:tanazashi:20190713223127p:plain

 

モネ、ゴッホルノワール。大正時代、3000点に及ぶコレクションを作った実業家・松方幸次郎。災害や戦争などで散逸してしまった名画たちの数奇な運命を見つめる。

f:id:tanazashi:20190713223146p:plain

モネ、ゴッホルノワール。大正時代、名画の数々を収集し3000点にも及ぶコレクションを作り上げた実業家・松方幸次郎。「日本人に本物の芸術を見せたい!」との一心で集めた作品群は、その後、国立西洋美術館の礎となったことで知られる。しかしその大部分は、その後の災害や戦争などで散逸してしまった。開館60年を記念した展覧会に集結した、かつてのコレクション作品などを通して、名画がたどった数奇な運命を見つめる。

【ゲスト】美術評論家高階秀爾,【ゲスト】漫画家…やくみつる,【司会】小野正嗣,柴田祐規子

日曜美術館「3000の数奇な運命~松方コレクション 百年の旅路~」

放送日

2019年7月14日

プロローグ

f:id:tanazashi:20190715082431p:plain

ルノワールの《帽子の女》


ルノワールの《帽子の女》。

f:id:tanazashi:20190715082456p:plain

ゴッホ《アルルの寝室》

ゴッホが描いた《アルルの寝室》。

f:id:tanazashi:20190715082523p:plain

モネ《舟遊び》

モネ《舟遊び》。一目見ればあの絵と思う名画たち。

f:id:tanazashi:20190715082541p:plain

これらの作品を集めたのは一人の日本人でした。

f:id:tanazashi:20190715082608p:plain

松方幸次郎

松方幸次郎。明治から大正にかけて活躍した実業家でね元々は美術と無縁の男でした。ヨーロッパを舞台に買い集めた西洋の絵画や彫刻はおよそ3000点。

f:id:tanazashi:20190715082630p:plain

松方コレクション

わずか10年で築かれた世界でも有数の個人コレクションとして知られていました。

しかしその先に待っていたのは過酷な運命でした。

災害、戦争、世界恐慌。コレクションはバラバラになりその全貌は謎に包まれていました。

f:id:tanazashi:20190715082650p:plain

近年、調査によってその実態が明らかになりつつあります。数奇な運命をたどった3000の作品たち。

f:id:tanazashi:20190715082347p:plain

国立西洋美術館の礎となった松方コレクションが歩んだ100年にわたる旅路を見つめます。

f:id:tanazashi:20190715082313p:plain

日曜美術館「3000の数奇な運命~松方コレクション 百年の旅路~」

 

松方コレクション

f:id:tanazashi:20190715082253p:plain

東京・上野 国立西洋美術館


東京・上野にある国立西洋美術館。開館して今年で60周年。

f:id:tanazashi:20190715082232p:plain

美術館では今、原点となった松方コレクションの全貌をたどる特別展が開かれています。

f:id:tanazashi:20190715082213p:plain

モネの《睡蓮》

入り口を入ったところに飾られているのはコレクションを代表する一枚。

f:id:tanazashi:20190715082157p:plain

モネの《睡蓮》

モネの《睡蓮》です。光の変化や季節の移り変わりをとらえようと、睡蓮だけでも200点以上を描いたモネ。

f:id:tanazashi:20190715082125p:plain

その中でもこの絵はモネがずっと手元に置いた1枚。

f:id:tanazashi:20190715082112p:plain

松方が頼み込み譲り受けたと言われています。

 

f:id:tanazashi:20190715082026p:plain

ルノワールアルジェリア風のパリの女たち》

アルジェリア風のパリの女たち》はルノワール初期の代表作。画家が自らの恋人をモデルにアルジェリアのハーレムを想像で描きました。

f:id:tanazashi:20190715082005p:plain

豊かな金髪、絨毯の赤などルノワールの暖かい色使いが現れています。コレクションを始めて5年目。松方はパリの画廊でこの作品に出会い一目惚れしました。

f:id:tanazashi:20190715081942p:plain

エドゥアール・マネの《グラン氏の肖像》

エドゥアール・マネの《グラン氏の肖像》ヨーロッパ有数のフランス絵画コレクションから手に入れました。青紫のジャケットにグレーのシルクハット。粋な着こなしを通してパリの今を自由な感性で大胆に記録しています。

f:id:tanazashi:20190715081920p:plain

3000点に及ぶ作品をわずか10年で集めた松方は生前私には絵は分からないと語っていました。画商が並べた絵ステッキでここからここまでと指し、まとめ買いしたとの逸話も。

f:id:tanazashi:20190715081827p:plain

実際にコレクションを詳しく見ると伝統的な宗教画から当時流行していた風景画やタペストリーまでジャンルは様々。

f:id:tanazashi:20190715081845p:plain

 

f:id:tanazashi:20190715081855p:plain

収集に一貫性がないと言われることもありました。

f:id:tanazashi:20190715081810p:plain

しかしそんな松方のイメージを覆す資料が近年見つかりました。松方が海外へと送った手紙です。

f:id:tanazashi:20190715081747p:plain
宛名はミスターベネディット。その人物はフランスパリにいました。

ロダン美術館の館長を務めたレオンス・ベネディット。

f:id:tanazashi:20190715081737p:plain

フランスにおける松方の作品購入のアドバイザーでした。

f:id:tanazashi:20190715081716p:plain

手紙の中で松方は具体的な画家の名前を挙げながら、作品を手に入れたことへの感謝を綴っています。

f:id:tanazashi:20190715211036p:plain

アマン・ジャン、エミール・ベルナール。新たな画風で当時フランス画壇の中心にいた作家たちです。

f:id:tanazashi:20190715211020p:plain

「本当に細かく具体的に同時代のフランスの画家たちの作家の名前を挙げながら、あの例えばなんですけど、サロンで最近メダルを受賞したと言ったようなことなんかも分かっているので、ちゃんと最新情報をキャッチしてたってのは分かります」

f:id:tanazashi:20190715211009p:plain

手紙ではある作品の入手をこのさらに喜んでいました。

f:id:tanazashi:20190715210957p:plain

ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの《貧しき漁夫》

ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの《貧しき漁夫》長らく手に入れたいと願いながらもその人気ゆえに入手できなかった一枚。

f:id:tanazashi:20190715210938p:plain

風景と人物が調和する独自の作風は、後の世代に大きな影響を与え、ピカソが何度も模写をしたことでも知られます。

f:id:tanazashi:20190715210907p:plain

陳岡めぐみ

「かなりいろいろな知識を持っていたということもわかりますし、関心もあったし、またそのなんというか芸術の動向を理解する、そういう公共用と言うか度量もあった人物というのはよくわかります」

 

f:id:tanazashi:20190715210855p:plain

手紙の最後には松方のコレクションを貫く目的が記されていました。「ブラウン氏が私の美術館の絵を描いてくれた」松方は日本に美術館を作ろうとしていました。

f:id:tanazashi:20190715210843p:plain

共楽美術館

広い敷地に噴水のある中庭を囲む西洋的なデザイン。松方は共楽美術館と名付け、自らのコレクションを多くの人に見てもらいたいと考えていました。

f:id:tanazashi:20190715210818p:plain

フランク・ブラングィン

設計図を書いたのはイギリス人画家のフランク・ブラングィン

f:id:tanazashi:20190715210759p:plain

二人を結んだのは船でした。松方は飛ぶ鳥を落とす勢いで成長する大手造船会社の社長。第1次世界大戦では戦争の長期化を見越して船をヨーロッパに大量に供給。予測が当たり巨額の利益を得ていました。

f:id:tanazashi:20190715210736p:plain

《旧難船》

一方のブラングィンはかつては船乗り。海や造船をテーマにした作品を数多く手がけていました。

f:id:tanazashi:20190715210724p:plain

《海の葬送》

 

《海の葬送》日焼けした船乗りたちが遺体を海に送り出す情景を描きパリのサロンでも入賞しています。ブラングィンはイギリスにおける松方のコレクションのアドバイザーとなりました。

f:id:tanazashi:20190718214403p:plain

ジョン・エヴァリエット・ミレイ《アヒルの子》

ブラングィンと松方が集めた作品。

f:id:tanazashi:20190718214325p:plain

ジョヴァンニ・セガンティーニ《羊の毛刈り》

絵画はもちろん彫刻から工芸まで幅広いジャンルに渡りました。

f:id:tanazashi:20190718214240p:plain

アランク・ブラングィン《松方幸次郎の肖像》

ブラングィンが描いた松方幸次郎の肖像です。それにしても何が芸術とは無縁だった松方を突き動かしたのでしょうか。後年松方はその真意を語っています。

f:id:tanazashi:20190718214222p:plain

我が国の人々が西洋人の心を理解する手助けをしたい。そうすれば西洋的なものづくりや生活様式を自在に取り入れられるからだ。

f:id:tanazashi:20190715210907p:plain

「ただ単に絵画の愛好家としてコレクションしていた、あるいはそれを美術館にしたいってではなくて、本当に広い視野で考えてたんだろうってはよくわかります。当時日本人にとっても一つのモデルであった西洋の社会文化歴史ってのを理解してほしいと、芸術の収集といったものを通じて日本人の生活というのがより良いものになるということを目指してたんじゃないかなとは思います」

 

f:id:tanazashi:20190718214127p:plain

ロダン美術館

ブラングィンとの出会いから2年後、松方はパリへ渡ります。向かったのは開館を間近に控えたロダン美術館。

f:id:tanazashi:20190718214056p:plain

レオンス・ベネディット

松方はあのレオンス・ベネディットを訪ねます。同時ベネディットは資金繰りに苦労していました。松方は打ち明けます。日本に美術館を作る。そこにはロダンのための特別展示室を設けるつもりだ。松方は前金で6万フランの大口鋳造契約を締結。

f:id:tanazashi:20190721191924p:plain

作品の購入を正式に依頼しました。ベネディットの紹介を受けて松方はある巨匠を尋ねます。

f:id:tanazashi:20190721191821p:plain

その画家は気に入った絵は人には売らず自分の家に飾って暮らしていました。

f:id:tanazashi:20190721191746p:plain

クロード・モネ

印象派を創設したクロード・モネ。松方はモネが大好きだという100年物のブランデーを手土産にしていました。訪ねたその場で松方は18点を選び購入を申し出ます。そんなに私の作品が好きなのか。俺は君にならと、多くの絵を譲ってくれたと言います。

f:id:tanazashi:20190721191732p:plain

こうして手に入れたのがコレクションを代表するこの1枚です。日本人に最高の絵を見せたい。3000点に及ぶコレクションは松方の思いの結晶なのです。

 

スタジオ

今日のゲストをご紹介しましょう 大原美術館館長で国立西洋美術館の館長を務めていらっしゃった高階秀爾さん。そして漫画家で様々なもののコレクターでもあるやくみつるさんです。

 

悲劇のコレクション

f:id:tanazashi:20190721193336p:plain

関東大震災


松方がモネから睡蓮を譲り受けた2年後関東大震災が起こります。政府は復興の予算確保のために美術品のような贅沢品の輸入に100%の関税を設定します。その結果イギリスフランスに置かれていたコレクション1300点はそのまま海外で保管されることになりました。1927年には金融恐慌の波が松方のコレクションを直撃します。

f:id:tanazashi:20190721193314p:plain

社長を務めていた造船会社の経営が破綻。松方は辞任に追い込まれた上、負債整理のために資材を提供することになったのです。

f:id:tanazashi:20190721193239p:plain

国内にあったコレクションは差し押さえられ、展覧会という形をとった公開の売却処分が始まりました。散逸を防ぐと国や富豪による一括での買い上げが理想とされました。

f:id:tanazashi:20190721193226p:plain

しかし不景気の中、まとまった買い手は現れず、バラバラに人手に渡っていきました。その一つゴーギャンの作品が今も国内に残っています。

f:id:tanazashi:20190721193206p:plain

「こちらがアーティゾン美術館が所蔵するゴーギャンのフォントベンの風景です」

f:id:tanazashi:20190721193132p:plain

ゴーギャン《フォントベンの風景》

ゴーギャンタヒチに渡る直前まで住んでいたフランス・ブルターニュ地方の風景画。

f:id:tanazashi:20190721193106p:plain

石橋正二郎

この絵を買ったのは石橋財団の創設者、石橋正二郎でした。

 

f:id:tanazashi:20190721193042p:plain

「ずっと常設館の中で展示されてきた作品でありますから、石橋正二郎それからその後の美術館においても最も大切にされてきた作品の一つという風に言えるかと思います。西洋あるいはアメリカと言うたところに流出してしまう危機があって、それを食い止めるため松方が日本に持ち込んでからそれから今もまだ日本にあるというのは非常に大きな意義があるというふうに思っています」

f:id:tanazashi:20190721193025p:plain

1939年。今度は海外に保管されていたコレクションを悲劇が襲います。

f:id:tanazashi:20190721193007p:plain

作品900点を預けていたロンドンの倉庫で火災が発生。ほぼ全ての作品が焼けてしまいました。さらにこの頃フランスに保管されていた最後の400点にも魔の手が忍び寄っていました。ナチスドイツがフランスに侵攻。ヒトラーは貴重な文化財を差し押さえにかかります。

f:id:tanazashi:20190721192946p:plain

松方は作品の疎開を決断します。行き先はパリからおよそ80 km の村アボンダン。松方の部下日置幸三郎がその任務を担いました。しかし疎開生活はすぐに行き詰まります。もしもの時は絵を売って良いという松方の言葉を受け、命を共にした絵画の中から2枚を泣く泣く手放しました。

f:id:tanazashi:20190721192925p:plain

スイス・ベルン美術館

そのうちの一枚がスイス・ベルン美術館に所蔵されています。

 

f:id:tanazashi:20190721192852p:plain

マネの《嵐の海》

マネの《嵐の海》嵐が来る直前の不穏な海の風景です。日置が手放した後、行方不明になっていましたが、2013年ユダヤ人画商のコレクションから発見されました。戦争を乗り越えたフランスの松方コレクションは1951年のサンフランシスコ講和条約をきっかけに日本返還に向けて動き出します。この時フランス政府は二つの条件を提示します。一つはコレクションの散逸を防ぐため美術館を建設すること。

f:id:tanazashi:20190721192829p:plain

そして始まったのが国立西洋美術館の建設。設計はフランス人建築家ル・コルビジェに委ねられました。

f:id:tanazashi:20190721192807p:plain

フランスから送り返された松方コレクションの引き渡しています18日に東京上野の国立西洋美術館でありました。松方が作品を集め始めておよそ40年。375点がついて日本の地へとやってきました。

f:id:tanazashi:20190721192724p:plain

オープンした国立西洋美術館には名画を一目見ようと連日長蛇の列ができました。松方幸次郎が日本人に本物の絵を見せたいと集めたコレクション。数奇な運命に翻弄されながら、コレクションは安住の地へとたどり着いたのです。

f:id:tanazashi:20190721193836p:plain

フランス政府のもう一つの条件が重要な作品はフランスに留め置くということでした。

f:id:tanazashi:20190721193807p:plain

ゴッホ《アルルの寝室》

現在オルセー美術館に所蔵されているゴッホのアルルの寝室もその一つ。こうした20点がフランス国内に残されました。

f:id:tanazashi:20190721193745p:plain

松方は返還を知ることなく1950年鎌倉の自宅で84年の生涯に幕を降ろしました。

 

取材先など

 

blog.kenfru.xyz

blog.kenfru.xyz

blog.kenfru.xyz

 

放送記録

av98ingram.wpblog.jp

 

書籍

展覧会

松方コレクション展|開催中の展覧会|国立西洋美術館 

松方コレクション_本チラシver3_190521_nyuko