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日曜美術館「異色の戦争画~知られざる従軍画家・小早川秋聲~」

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日曜美術館「異色の戦争画~知られざる従軍画家・小早川秋聲~」

 

軍から受け取りを拒まれたという異色の戦争画『国之楯』を中心に、知られざる従軍画家、小早川秋聲が残した数々の戦争画を近年新たに発掘された絵や文章を交えてたどる。

陸軍の依頼を受けて描かれたものの、軍から受け取りを拒まれたという異色の戦争画、『国之楯』。

作者は日本画家の小早川秋聲。

満州事変から太平洋戦争まで、最前線で取材し、数多くの戦争画を描いた。

番組では、知られざる従軍画家、小早川秋聲が残した数々の戦争画を、近年新たに発掘された絵や文章を交えて辿(たど)りながら、戦争末期の1944年に戦争画の集大成として描かれた『国之楯』を読み解いていく。

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小早川秋聲 國之楯

 

【ゲスト】愛知県美術館学芸員平瀬礼太,【出演】現代美術資料センター主宰…笹木繁男,小早川秋聲研究家…松竹京子,日南町美術館主任学芸員…浅田裕子,【司会】小野正嗣,柴田祐規子

日曜美術館「異色の戦争画~知られざる従軍画家・小早川秋聲~」

放送日

2019年9月1日

 プロローグ

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鳥取県日南町の美術館に異色の戦争があります。

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横幅2メートルを超える画面いっぱいに戦死者の姿が描かれています。軍服を着て軍刀を携え深い闇の中に横たわる陸軍の軍人。

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その顔は寄せ書きの入った日の丸で覆われています。

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作者は日本画家の小早川秋聲。太平洋戦争末期の昭和19年。小早川が描いたこの絵は陸軍から受け取りを拒まれたと言います。

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「見る人によっては、非常に悲壮感を煽り立てるような死というものが強烈に表現されていますので、なかなかその時代にこういう作風。戦死者をあの亡くなった兵隊さんを描いたという作品自体がないもので」戦争中多くの画家たちが国民の士気を高めるために戦争画を描きました。

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太平洋戦争初期の落下傘部隊の活躍を描いた絵。勇ましく華々しい戦闘場面です。

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戦争後期には日本軍が玉砕する悲惨な場面も描かれるようになりました。

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しかし絵の中の戦車はアメリカ兵ばかりです。

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日本兵の死者は一人も描いてない。戦死者はマイナスなんだと思うんですよ。描く側も意識したと思うんですね。暗黙の了解事項というか」

戦争末期に真正面から戦死者を描いたほとんど唯一の戦争画《国の盾》この絵の作者の小早川秋聲とはどんな画家だったのでしょうか。いったいどのようにしてこの異色の戦争画を描くことになったのでしょうか。

前説

今日はこれまであまり知られてこなかった従軍画家の小早川秋聲が描いた戦争画を見ていこうと思います。
「僕がこれまで見てきた限りですと戦意を高揚するっていうよりは戦争の悲惨さそのものが画面に表現されているようなイメージがあります」
今日はまず小早川がどのようにして戦争画を描くに至ったのかその背景から見ていきます。

小早川秋聲という画家

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小早川秋聲は明治18年

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鳥取県にある高徳寺の住職の長男として生まれます。少年時代に僧籍に入った小早川。それは後に従軍画家として戦場に赴く小早川のバックボーンの一つとなります。

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小早川は22歳の年志願して騎兵連隊に入隊しました。この軍人体験も従軍画家になった動機の一つかもしれません。

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さらに小早川は軍とともに移動する従軍画家になり得る旅行家でした。20代には水墨画を学ぶために中国へ赴き、各地を旅しました。

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30代にはベルリンで西洋美術を学ぶとともに、

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ヨーロッパ各地やエジプト、インドを訪ねています。

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外遊を終えた小早川は当時最も権威のあった帝展に毎年のように出品していきます。

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布団の中ですやすや眠る幼子。娘の姿を描いたと言われています。

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幼子の周りを取り巻く太鼓や天狗の面には厄除けなどの効用も信じられていました。

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娘の幸せな未来を願う小早川の親心が込められています。

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西欧体験がもたらしたモチーフでしょうか。オランダの港の光景です。民族衣装を着た女性たちがはるか長崎に向かう帆船を見送ります。小早川はこの平和な光景を描いたその年、日本は戦争の時代に突入します。昭和6年満鉄の線路爆破事件をきっかけに満州事変が勃発。日本軍は翌年、中国東北部を制圧して満州国を樹立します。軍に強いコネを持っていた小早川は事変が起きたその年、従軍画家として大陸に渡り、以後毎年のように戦場の最前線に赴きます。

従軍画家を志した想いを小早川はこう書いています。

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「銃は取らなくても、せめて絵筆をとってお国のために何らかの役に立ちたい一念である」

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満州事変の従軍体験から生まれた絵です。真っ暗な夜。焚き火の炎が舞い上がっています。

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その炎を取り囲むように暖を取る兵士たち。満州北部は極寒の地でした。「内地ではちょっと想像もつかぬ寒さ。ではないむしろ痛さだ。万象全て凍ると言った世界。酒さえ凍って魚介一つでも鋸で引いたりを斧で割っている」季節が変わり、マツヨイグサの花が咲く夏。これは歩哨に立つ兵士の姿です。直立不動の姿勢の兵士。傍らには銃が組まれ、軍旗が立てかけられています。この絵には詩人の西条八十が歌を寄せています。「戦いやみて月出でぬ敵ははるかに退きぬ露は優しく秋草に鮮血の夢、いまいづこ。今日1日の前線を無言に守り導きし、名誉ある軍旗、厳かに組まれし銃に憩うなり」絵の裏には小早川自身の筆で日本軍の犠牲者の数が記されています。戦死して満蒙の土となった2900の英霊と7000人を超える戦傷者。実際小早川は満州の最北端ソビエトとの国境近くで戦争の犠牲者の墓標を目にしています。「同朋の墓地が雪の平原に寂しく佇んでいる。その中に木の香がいまだ生々しい五つの墓標が目を射った。細やかな墓標である。あまりの気の毒さ。涙は凍ってにじまない」昭和12年。北京近郊にある盧溝橋で起きた発砲事件をきっかけに、日中戦争が始まります。最初。中国北部の北京や天津で始まった戦いは揚子江沿いの上海に拡大。日本軍は首都の南京に攻めいって全面戦争になって行きます。小早川はまた毎年のように中国各地の戦場に赴きました。従軍画家として目にした光景を描いた小早川の戦争画。その多くが絵葉書になり戦地と内地との間で交わされた軍事郵便としても使われました。元の絵が失われ、絵はがきにしか残っていないものも多くあります。小早川の戦争画の多くは兵士たちの日常の何気ない姿を描き出しています。戦闘の合間でしょうか野外で互いにもたれ合うようにして眠る兵士たち。暗闇には兵士たちが夢に見ている内地の家族の顔が浮かんでいます。こちらは銃後を守る女性です。お辞儀して戦場の兵士を偲んでいます。周りに描かれた兵士たちの様々な姿。小早川はこうした前線の兵士達と行動を共にしました。「極寒の中。第一線で兵士諸君と雑魚寝をしたこともあった。それも毛布とか板の上ではなかった。土の上だ。夜半から冷え込む。お互いに芋虫のように丸くなる」絵葉書を含め小早川に関

する絵や資料を13年前から調査収集してきた研究者、

松竹京子さんです。 「珍しいと思います。こういったお風呂の絵は。ドラム缶になってまして、兵士たちが疲れをいやすという。生活をとらえている。従軍画家の絵を見てきていますが、なかなかこうした視点の作家はいない。命の瀬戸際ぎりぎりのことろで絵を描くことをやっていて、そこに自分の身をおかなければ描けないと思っていた人」小早川の戦争画には戦闘場面を描いた絵はほとんどありません。その数少ない一点。大勢の兵士たちが銃剣を手に突撃する様子です。行く手には爆撃の炎と煙が立ち上っています。戦闘が終わり余燼がくすぶる中、祖国に祈る将兵たち。多くの犠牲者が出たのでしょうか。どこか悄然とした雰囲気です。「戦いは勇ましくも凄惨である。弾の当たった水筒や靴。血に染まった軍帽やシャツ。血の千人針も見受ける。敵の死体もここかしこに転がっているが、それも見慣れるとなんとも感じなくなる」小早川は戦死者を荒野で埋葬する場面を絵にしています。僧籍のあった小早川は、日中戦争では京都・東本願寺から移植された慰問師の任務を負った時もありました。「寒風吹きすさぶ荒野の仮葬にも、いくどとなく立会い、読経の供養もいたし、尊き犠牲者に対して本当に真心より感謝とお冥福を祈り申し上げ。戦争は国家としてやむにやまれぬ事とはもうせ、惨の惨たるものこれあり候」「辺り一面も荒れて荒れて、死体塁類の中絶え間なく読経する。あるいはある文章の中には遺骨を4000柱ぐらい目の前にして、そこで読経をしてそれをしっかりと故国に持って帰るためのお手伝いをするというようなこともしていますし、よく彼が書くのは天下和順。この世が平和でありますように。世界が平和でありますようにということを同時に祈って書いてる。戦争の中で戦争の真実を見つめながら同時にこんなことが早くなくなって本当に普通の生活が平和に続いて滞りなく続いていくように言っていうことをずっと祈り続けた人だと言うことだと思うんですね」

 スタジオ

 

 

 

取材先など

 

放送記録

av98ingram.wpblog.jp

 

書籍

展覧会

kashima-arts.co.jp

 「従軍画家」小早川秋聲の回顧展が関東で初開催。陸軍が受け取り拒否した《國之楯》も展示|MAGAZINE|美術手帖