チャンスはピンチだ。

響くアートの愛好家

日曜美術館「わしがやらねばたれがやる~彫刻家・平櫛田中~」

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西洋化の波が押し寄せる中、日本伝統の木彫の新たな形を模索した平櫛田中

6代目尾上菊五郎と作り上げた代表作「鏡獅子」の制作秘話を通してその生き様(ざま)に迫る。

歌舞伎の6代目尾上菊五郎の姿をとどめた近代彫刻の最高峰「鏡獅子」。

実に22年の歳月をかけて作られた全長2mの彩色が施された木彫の像は、圧倒的な存在感を誇る。

作者は岡山県井原市出身の平櫛田中(ひらくし・でんちゅう/明治5年-昭和54年)。

ロダンなど西洋彫刻が流入し新たな衝撃が広がる時代のなかで、日本伝統の木彫の新たな可能性を模索した平櫛田中

107年の天寿を全うした、その生きざまに迫る。

【出演】尾上右近,大分大学教育学部教授…田中修二,【司会】小野正嗣,柴田祐規子

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平櫛田中「鏡獅子」

日曜美術館「わしがやらねばたれがやる~彫刻家・平櫛田中~」

放送日

2019年10月27日

プロローグ

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日本の伝統芸能を今に伝える国立劇場

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ロビーで50年以上に渡り観客を迎え続ける彫刻があります。

《鏡獅子》

大正から昭和に活躍した6代目尾上菊五郎が自らの18番春興鏡獅子を舞う姿です。

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静の中に動を感じさせるたたずまい。

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絢爛たる衣装。近代彫刻の最高峰のひとつです。

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彫刻家平櫛田中。明治に生まれ107年の生涯を木彫に捧げました。

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近代的な西洋彫刻に押され、伝統的な木彫が衰退する中、その可能性を信じ続けました。

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「 近代性が僕の彫刻には乏しいらしいんです。仕事がどうも彫刻というか人形に近いらしいです。持って生まれてというか、どんなにしてもできないからやむを得ませんから最近は諦めてます」

 

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高さ2メートルを超える鏡獅子は22年の歳月をかけた大作。

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国民的スターとともに日本の伝統を未来へ繋ごうと挑みました。

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「この体型があこがれています。筋肉のバランスがとてもいい。

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田中さんのスピリッツ心構えは僕らと通じる部分もあるし」

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「執念深いから。負けちゃうよ」己の信じる道を歩み続けた彫刻家・平櫛田中の生涯を辿ります。

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井原市田中美術館

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岡山県井原市にある田中美術館に来ています。

彫刻家の平櫛田中107歳でお亡くなりになったということなんですが今没後40年の記念の展覧会が開かれています。

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国立劇場にある大きな鏡獅子の試作品として作られた作品。

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試作品だけあって小さく可愛らしい。平櫛田中。十代の頃は大阪で丁稚奉公していましたが、20代に入ってから彫刻家を志したことなんですね。今日は20代の頃の彫刻家を目指し始めた頃の田中から見ていきます。

青年時代の田中

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田中が上京を果たしたのは明治三十年。町が日清戦争後の好景気に沸く頃でした。

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入門したのは仏師として知られる高村光雲の一門。

廃仏毀釈によって仏像制作が激減するなか、新たな時代の木彫を模索していました。

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一人遠くを見つめているのが若き日の田中。

周囲が酒やタバコにふける中、脇目も振らず修行に励んでいたといいます。

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田中たちが取り組んだのは西洋由来の技法。

いきなり木を彫らず、まずは作り直しが容易な粘土で原型を作る新たな試みでした。

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この技法で作られたのは君が代を歌う少年。

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写実的な姿には西洋彫刻の強い影響が見て取れます。

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田中たちは題材に時代を意識したものを選びました。この作品のテーマは当時社会的に大きな関心を集めていた日英同盟

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日本人とイギリス人の少女が仲良く手を繋いでいます。この時期田中は生涯を決定づけるある人物と出会います。

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岡倉天心。日本の伝統が時代遅れとみなされる時代にあって、逆にその優れた価値を見出したことで知られます。田中は天心に合うなり今後の木彫のあり方について尋ねました。その様子を後年ラジオで語っています。

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「彫刻はほとんど需要がありませんでした。その実用を言って、先生に何とか売れる気はないでしょうかと訴えたんです。ところが先生は、皆さんは売れる物をお作りになるから売れない。売れない物を作れば必ず売れます。きっと売れますというお言葉でした」

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皆さんは売れる物をお作りになるから売れない。

田中はかねてからやってみたいと考えていた題材に取り組みます。

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ある僧侶が修行僧の胸にいきなり矢を突きつけ、力量を試したという中国の逸話です。けれどもこれを見た天心の言葉は厳しいものでした。

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「いったいなんで弓だの矢だのつけたんですって。あんな物はいらんですよ。こんなことじゃ死んだ豚も射貫くことはできませんよとえらい悪辣な批評を受けた」天心はいったい何を伝えたかったのか。

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「作りすぎてしまうのではなくて、あえて表現市内部分を作品の中に残し、見る側がそこで想像力を働かせていく。想像力を働かせた世界と実際に作り出された世界との共闘によってひとつの芸術世界を作り出していくという、

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これは岡倉天心が日本美術の特質として、繰り返し指摘している"不完全の美"という表現に通じるスタイルで、以後の田中芸術の貴重という物がこのとき形作られました」

 

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以後田中はこの不完全の美を追い求めていきます。ミルクすら買えないほど貧しくても、売るための作品は作りませんでした。

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それから5年。天心がこの世を去る直前に作ったのが《尋牛》 行方の分からなくなった牛を訪ね歩く老人を通して、悟りに至る過程を描きました。

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この作品を見た天心は大変気に入り、喜んだと言います。

「歩き続ける男の人以外は何も表現されていない。おそらく田中は生涯彫刻を極めることはできなくても、決して歩むことを辞めない。己の覚悟というものを込めたんだろうと思います。自分で表現を生み出していくその思い。その姿勢を天心から学んだものだと思います」

理想求めて歩みを止めることのない孤高の人。それは田中のその後を暗示するものとなっていきます。

 

模索

一向に挽回の気配のない木彫について田中が語った言葉が残されています。

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「塑像家の方から従来の木彫家の作品を見ると、自然や人体の研究が少しもないから単に達者になる技巧が醜く現れているに過ぎない。木彫会にも必然的に革新の時期が到達したのである」

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田中が狙いを定めたのはロダニズム。近代彫刻の父。フランスのオーケスト・ロダンが確立した当時最先端の手法でした。目に見えるものを忠実に移すのではなく心に感じたことを様々なデフォルメを通して表そうとします。

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早速、田中は仲間の彫刻家たちと裸のモデルを使って筋肉や骨格など肉体の研究を始めます。

しかし西洋の手法にのめり込む田中を冷ややかに見る人達もいました。

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「周囲では平櫛は気が違ったのではないかと心配したらしい。こちらは大真面目でこんなに一生懸命になることは生涯にもあるかどうかというくらい気を入れていた。3年間は質草もなくなるような生活だった」

田中が口癖のように語っていた言葉があります。

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今やらねばいつできる。わしがやらねばたれがやる。

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研究を始めて2年目に作った作品。

《遠き思い》

筋肉を様々な形で強調しながら新たな表現を生み出すそうともがき、削り出した肉体です。

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自宅近くの寺の壁に毎日のように寄りかかっていた男性をモデルとした作品。

無駄な肉のない細身の体となめらかな肌。

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田中はその姿に思索にふける哲学者を見出しました。

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そしてロダニズム研究を始めて6年後に作り上げたのが《転生》です。

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鬼が口から吐き出しているのは人。生ぬるいものは気持ちが悪くさすがの鬼も食わない。

幼少期に聞いた地元の話をもとに作られました。

浮き出る筋肉や血管が醸し出す容赦ない厳しさ。

中途半端を嫌う田中自身の思いが乗り移ったかのようです。

時に49歳。

木彫の将来を憂い、一人研究を重ねたどり着いた執念の結晶でした。

スタジオ

近くで見ると迫力ありますよね。田中の作品の中でも非常に高く評価されていました。厳しい評価もなされていました。手堅いけれど何を表現したいかわからない。 首をかしげさんになるとかと疑念を抱かせたするところにがある。一緒に人体の研究を完成するまでやっていますからそういうのがしっかりと表現されている。日本の伝統の中を生きてる田中が静養の技法も受け入れている。自分が目指すものであれば本当に色々取り入れてそういうことも認めてそれをしっかりと学んでいく姿勢が感じられる。

50代に傑作をつくり上げた田中ですが、60代の後半から鏡獅子の制作に取り掛かります。

スタジオ

 

鏡獅子

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「こちら会場でございます」「こんな感じなんですねはいもうすごいすごい」歌舞伎役者の尾上右近さん。鏡獅子のモデルとなった6代目尾上菊五郎の曾孫にあたります。歌舞伎の家に生まれた右近さん。役者を目指すようになったのは幼いころ、六代目が演じる鏡獅子の映像を見たのがきっかけだといいます。

「曽祖父が演じているという認識もないまま鏡獅子になりたいという目覚めがあった。努力をして目指していけばなれるかもしれないというのが見えてきて舞台が面白くなっていった」

六代目の雄姿を伝える鏡獅子。しかし、この大作が完成するまでには22年という長い歳月が必要でした。

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きっかけは昭和11年田中が六代目の鏡獅子を見たときでした。

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六代目はバレエなど西洋的な表現を研究し、伝統に新たな風を吹き込んでいました。その姿に田中は一目惚れ。思わぬ行動に出ます。

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国民的スターの六代目に作品のモデルになって欲しいと頼み込んだのです。伝統を未来へつなぐための作品を作る。六代目は田中の思いを受け入れました。

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田中は六代目に作品のために裸になって欲しいとさえ頼みます。その思いに応え六代目は何度もアトリエに通いました。

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「六代目は非常に熱心な人で、何べん裸でやってもらってモデルしたのかわかりません」

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激しく獅子が舞う中の一瞬の静寂。

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緊張感あふれる肉体を田中は磨き上げた独自のまなざしで捉えました。

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「六代目の雰囲気を汲みつつ、彫刻としての誇張がいいですね。腹筋からおなかのあたり。上半身の雰囲気は彫刻としての雰囲気がうまくでている。背中の雰囲気が好きで」

一年後、裸の像をもとに作られた試作にはなんと鮮やかな色彩が施されていました。それまでの常識では考えられないやり方でした。なぜ型破りの彩色を行ったのか。田中が木調に色をつけ始めたのは鏡獅子を手掛ける5年前。将軍家に仕えた金工師、後藤徳乗。生きて目の前に座っているかのような存在感です。しかし発表するやまるで泥人形だと酷評されます。それでも田中は自らの考えを曲げませんでした。「近代彫刻とか、明治からずっとやってきていますけどね、近代性が僕の彫刻には乏しいらしいんですよ。仕事がどうも彫刻というか、人形に近いらしいです。でも仕方がない。もって生まれてるのか、どんなにしてもできないんだから、最近はあきらめています」色彩を施すことで木彫としての可能性を探ろうとしたのです。「鏡獅子のような作品ですと臨場感といいますか、劇場の華やいだ雰囲気。人々の完成。におい。そういった目に見えないものを再現する上で彩色が効果を生んでいる。タブーに挑戦しようという思いから行ったのではないと思う。自分が求めている表現がそこにあった」しかし、目指すものの大きさに気負いすぎたのか、木を彫り進めることすらできず、戦争が激しさを増す中で、制作は途絶えてしまいます。再開されたのは終戦から8年もたってから。ともに完成を目指した六代目はこの世を去っていました。巨大な木に向き合い始めて一年。ここでも田中は突然手を止めてしまいます。一体何を求めていたのか。この頃自らの著書でめざす彫刻の理想を語っています。「肖像彫刻としては鑑真像。これが一番だ。優れた対策をやり得る腕を持った連中が師匠思いの一念で一生懸命やったんだから、それは当然のことだ。作家の立場として自分の現在の気持ちを言うと、私は鑑真像いきたい。ああいう制作に取り組みたい」再び巨大な木と向き合った田中。伝統を未来へ繋ぐと誓い合った、六代目を思いながらの制作でした。3年後鏡獅子は田中87歳の時に発表されました。その姿は近代的な彫刻が居並ぶ中で異彩を放っていました。
「最後で完成した時に私達兄弟とか祖父もまぜて記念写真撮ったりしたんだけどね。ご覧ください。こんなこと初めてで、よっぽど鏡獅子の大作が自分にとっていかに大切に思ってたかってこともよくわかる。祖父自身が満足げにしてるんですから、私たちも嬉しかった」 田中の集大成鏡獅子。六代目と繰り返し裸で向き合い形作った緊張感が溢れる姿。西洋にも学んだ独自の視点が捉えた肉体は、六代目の生き写しとさえ言われます。批判を浴びながらも貫いた鮮やかな色彩。鏡獅子には木調の可能性を信じ自らを磨き続けた田中の人生が凝縮されています。「田中さんのスピリッツ、芸術家としての心構えみたいなものはぼくらに通じる部分もあるしそれ芸術家としての志としてすごく高いところにある方なんだなっていうことと、素晴らしい伝統と革新の姿勢を見せてくださってる背中を見せてくださった先輩がいるって言うことも必然だし、それは本当に温故知新じゃないですけどこれまで先人達が作り上げてきたものをきちんと受け止めつつ、今の時代だからこそできることに自分なりに取り掛かっていくっていうのが正しい姿勢なんじゃないかなって思いはありますよね」 

取材先など

 

放送記録

av98ingram.wpblog.jp

 

書籍

展覧会

 

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