伝統的な技法をベースに、新しい時代の感性で描いた日本画家・山口蓬春。
独自の世界観は「蓬春モダニズム」と呼ばれ戦後の日本画壇に大きな存在感を放ちました。
『山湖』はそんな新日本画の夜明けを告げる最初の一枚です。
旅人の女優・とよた真帆さんは『山湖』を描いた頃に蓬春が拠点にしていた葉山へ。
若くして画壇で認められた蓬春の原点は何だったのか?
なぜ湖を描いたのか?画家が湖面に込めた熱き魂の物語をたどります。
新美の巨人たち 山口蓬春『山湖』
放送:2020年2月22日
プロローグ
皇居の宮殿の中の正殿、松の間。
そこへ続く廊下に大きな楓の絵があるのをご存知ですか。
描いたのは昭和を代表する日本画家山口蓬春。
秋の紅葉。大胆に色変わりする様を画面いっぱいに表現しました。
宮内庁からの依頼で3年かけて制作したこの作品は皇居のシンボルの一つになっています。
彼は一風変わった作品を残しました。
日本画なのにシロクマにペンギン。
伝統的な技法で描く斬新な画題。時にシュールなものまで。
その表現は縦横無尽。常に時代の最先端新しい日本画を追求しました。
その人生は紆余曲折の連続。昭和という時代にも翻弄されました。
きょうの一枚はそんな画家の生き様を映し出す代表作。
静かなし湖面に込めた熱き魂の物語。
神奈川県葉山。
日本画の開拓者山口蓬春は50代半ばからこの市を拠点としていました。
「葉山は大好きです」訪ねるのはとよた真帆さん。絵は見るのも描くのも大好き。京友禅やうちわなどのデザインも手掛けています。「東京から近いのに癒される空気と言いますか。ここなんですね」
ここは画家の終のすみか。今は記念館になっています。
作品を始め生前使っていたアトリエも見学できる小さな美術館です。
山口蓬春の波乱の人生を物語る1枚がありました。
「油絵独特の重みと言うか」
後に日本画壇の重鎮となる蓬春。でも画業の出発点はヨーロッパから入ってきた油絵だったのです。
北海道松前。明治26年。後に蓬春を名乗る山口三郎はこの家で生を受けました。
父は日本銀行に勤めていましたが一家で東京に出て鮮魚を扱う商人になります。
この父の存在が蓬春の運命を大きく変えていくのです。
「父は元々新し物好きで北海道時代には熱心なヨーグルト党で、とにかく流行の先に立つことが好きでした。明治30年代にヨーグルトを進んで食べるなどということはよほどの新しがり屋だったに相違ありません。父のそんな新し物好きの一面がこの私にも自然に感化して伝わっているのだと思います」
息子には商人になってほしい。
父はそう考えていたのですが三郎少年肝心のそろばんが大の苦手。
得意な絵の道に進みたいと思うようになります。
それでも父はそろばんを続けさせたものの、1年経っても成績は上がらず、結局絵の道を認めることになります。
「そろばんをぶら下げての一年間の辛さは親父を恨みたくもなりましたがすっかり諦めてからは全く物分かりのいいオヤジでした。それは本当にありがたくて、感謝の涙をこぼしたことでした」
父譲りで新し物好きの三郎は油絵を極めようと東京美術学校へ。
ところがその直前のことでした。
商売で失敗し金策に追われた父は神経の衰弱。
この世を去ってしまうのです。
せめて一人前の画家になった姿を見てもらいたかった。
その悔しさを胸に絵筆を取ると三郎は在学中から二科展に入選するなど高く評価されていきます。
当時油絵を描いて大成するにはヨーロッパ留学が必須とされていました。
しかし父なき山口家に三郎送り出すだけの資金はありません。
画家への道は閉ざされたかに思われました。
そんな折美術学校の教員から日本画に向いていると言われたのをきっかけに、三郎思い切った行動に出ます。
なんと25歳で西洋画家を退学3ヶ月後に日本画家を受験して再び1年生から日本画を学び始めるのです。
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