昭和の初めに彗星の如く現れた天才版画家・藤牧義夫。
隅田川に架かる橋と風景を『隅田川絵巻』として描き続けました。
全長50mに及ぶ超大作です。
幼き頃から才能を発揮した藤牧ですが、24歳の時に謎の失踪…。
一体どこへ消えたのか?
残された傑作をよく見ると、あるはずの影が一切ない…線だけで描かれた、いわば“白い世界”なのです。
その理由とは?
今回は要潤さんが絵巻と共に隅田川へ。藤牧が求めていた世界に迫ります。
新美の巨人たち 藤牧義夫『隅田川絵巻』
放送:2020年1月12日
プロローグ
あなたはどこへ消えてしまったのか。
昔、隅田川のほとりで橋と風景を見つめ描いていた若者。
誰もその後の彼の消息を知らない。日本には美しい橋があります。
錦の五連の帯が川を超えて。人と人とを結び。その姿月へ渡るが如しと称えられた橋。舞い降りる鶴の姿で湖を渡っていく。
川を超え海を越え時代を超えて。
隅田川は橋の名所です。
現在27の橋がかけられています。
あの日の若者は隅田川で一体どんな橋を描いたのでしょう。
南千住の白鬚橋は墨のひと色で。
ブルーが映える清洲橋も墨の一色で。
堂々たる永代橋もひたすら黒い輪郭線で。
描いたのは藤牧義夫。24歳。
昭和の初めに彗星の如く現れた天才版画家です。
恐ろしいほど長い長い絵巻です。
緻密に繊細に描かれた風景が流れていきます。
そして恐ろしいほど謎に満ちているのです。
その果てに見たものは。この絵巻最大の謎。
「影がない。ということは」なぜ影がないのでしょう。
隅田川の風景
藤牧義夫の版画は見る人の心を揺さぶりました。
大都会東京の喧噪の夜を彫り上げ、泣き叫ぶような夕焼けを鮮烈に描いたのです。
明治44年に群馬県の館林で生まれた藤牧は恐るべき早熟の天才です。
小学校高等科でこの大黒天を彫り上げて大人たちを驚かせました。
今日の作品は館林の資料館に収められています。
資料館では展示しきれないため特別にホールをお借りしました。
縦27.5センチ長さ14メートル40センチ。
和紙に墨で描かれていますが水墨画ではありません。
ぼかしもない。滲みもない。
澄み切った線で隅田川とその風景を克明に描いているのです。
動くものは川のさざ波。
まるで白昼夢のように静かなのです。
音のない世界を旅するように。隅田川の風景が続いていきます。
細い線で緻密に。
一切のものを記録するように。
この絵巻を発見し、世に知らしめた大谷芳久さんは初めて目にした時のことを。
「滅相もないという感じ。私にはもう最初見たとき、なんのことなのか。何をしようとしていたのか。そのときはまったくわかりませんでした」
圧巻は清洲橋の描写です。
「線が長い」
伸びやかな線で描かれた押し寄せる吊り橋の魅力。
その力強さを誇る打たれた鉄のリベット。
「 パノラマカメラで撮ったみたいな感じになってますよね」
このパノラマのような風景にはいくつもの謎があるのです。
見えるはずがないものを描いていること。
そこにないものを描いていること。
あるはずのものを描いていないこと。
そして作者はこの後消息不明。
藤巻が隅田川と橋の風景を描いた絵巻は3巻あります。
その長さは全てを繋げると50メートルあまり。
ではこの不思議な絵巻をたどってみましょうか。
まずは白髭橋のたもとに要さんが立ってみると。
藤巻の絵は白鬚橋の東側の袂からの風景が描かれています。
対岸にはガスタンクがあり、手前の岸には大きな鉄工所があります。
現代の風景は。
「全然違います。丸いのはないですね」
当時のガスタンクは球体ではなく円筒型でした。
問題はこちら側の鉄工所の見え方です。
絵巻ではひと目では見ることができない鉄工所を描いているのです。
なぜ見えるはずのないもの描いたのか。
タンクも鉄工所も同時に見せるために藤巻は人間の視覚では捉えきれない180°を超える風景をあえて描き、一つの場面として絵巻の中に収めていたのです。
続いて場面は変わります。
墨堤通り方面の道から描いているのですが少し裏寂しい家並みが続きます。
その同じ道を要さんが歩きます。
「ちょうどこの通りですね。すっかり変わってますよね」
その先に描かれているのが白髭神社。
ところが藤巻はちょっと変わった視点からこの神社を描いていました。
画家の視点はここ。
「こういうことですよね一番手前にこれがつながって」
賽銭箱の後ろから見た風景を描いているのです。
「不思議ですよね。こっちの方に入って書いたんですかね。中まで入って街の風景を書きたかったのかな」
藤巻は賽銭箱を通して神社をこのアングルから見せたかったのかもしれません。
理由は、白髭神社の隣に描かれている子育て地蔵にあります。
では歩きましょう。
「すぐ近くに描いているみたいな感じですね」
歩くこと3分。
実はこの絵にはないはずのものが描かれているのです。
白髭神社と子育て地蔵の間に立つ太い木です。
この大木を描くことによってどんな効果があるのか。
本当は白髭神社と子育て地蔵はこれだけ離れています。
そのため大木を置くことによって実際の距離を縮めて視点を大胆に移動させているのです。
つまり藤巻はひとつの場面の中で見たいものを意図的に編集しつなげているのです。
「映画の人が撮る。アップして引いてっていう。そういう映画的手法を彼は採っていて、版画で描ききれないもの。版画というのはたとえればカメラで一瞬のシャッター。光が当たって木々に当たってキラキラしているそれを白黒で刷って版画に表される。一瞬の出来事。 絵巻はそうではない。どこかの時点で長回しを映画のような。まさにフィルムでずっとその状況を撮っている。そしてある部分に近づいていったり離れていただからそれが彼の絵巻じゃないかと思いました」
藤巻は映画的な手法で隅田川の風景を自在に編集しながら描いていたのです。
歩き疲れた要さんは長命寺の桜餅のお店へ。
創業300年という江戸から続く老舗の桜餅です。
隅田川絵巻をじっと見つめていると気が付くことがあります。
あるはずのものがない。
描かれるべきものが一切描かれていないのです。
そう影がない。
藤牧義夫が故郷・館林から上京したのは昭和2年16歳の時です。
東武鉄道の線路は東京の浅草に向かっていました。
上京した藤巻は図案の仕事などをしながら独学で版画家の道を目指しました。
22歳の時には帝展に入選し将来を期待された若き版画家として認められたのです。
やがて圧倒的な表現を獲得し、強烈な輝きを放っていきます。
群衆の獰猛なエネルギーをとらえた浅草の夜。
版画史に残る傑作《赤陽》は上野の百貨店の屋上から見つめた東京の夕焼け。
その寂寥。
「強烈な光が、音響が、色彩が間断なく迫るその中に、不安な気持ちで生存する事実。それを唄いつつ自分は強く行く」
藤牧が版画制作の一方でコツコツと描いていたものが隅田川絵巻でした。
音のない世界を旅するように風景が続いていきます。
不思議な浮遊感を漂わせながら風景は流れてきます。
静かな透き通るような眼差しで、ところが。
「影がない」そう。
隅田川絵巻は影ひとつない世界。
全てのものが白日のもとに描かれているのです。なぜか。
「存在の変わらなさというか、存在物を輪郭線によって描く。これは変わらないわけです。変わるのは時間と光線ですよね。そこで光線を排除したんじゃないか」
藤巻は光や影で変化しない姿だけを端正な輪郭線で描いたのです。
東京という街を深く静かに記録するために。
要さんは吾妻橋を渡ります。
ちょっと視点を変えようと思っていたからです。
川の上から隅田川絵巻の風景をたどってみましょう。
新大橋の手前で浜町公園が見えてきました。
青い清洲橋は圧巻の遠近法で描きました。
そして相生橋。長い長い絵巻の終わり。
その橋の上からの眺めです。藤牧義夫はこんな言葉を残しています。
「白く光る川水は立派に時代に生きて流れていく。鉄橋が夕空に向かって言った。俺は俺で頑張る。君は素敵な大きな円体のようだが、君でも僕の存在を無視しやせんだろうねと。大空が鉄橋に応えて一言叫んだ。そうだとも」
昭和10年9月2日の夜のこと。
藤牧義夫は描き終えた隅田川絵巻を姉の家に預け、当時暮らしていた浅草の街から忽然と消えてしまったのです。
24歳の若者でした。
以来全くの消息不明。
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