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響くアートの愛好家

新美の巨人たち 旧開智学校校舎&築地本願寺&東京タワー

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芸術はいつの時代もどんな国でも、多くの人の心を癒し励ましてきました。そんな人々の心を動かす作品を紹介するシリーズ「今こそアートのチカラを」。第2弾は「建物編」。日本人が造り上げた3つの建築に焦点を当て、建物に込められた希望・祈り・未来への想いに迫ります
▼明治時代の小学校『旧開智学校校舎』誕生の裏に隠された期待と意気込み&設計者・伊東忠太が『築地本願寺』に込めた願い&『東京タワー』構造美の秘密。

 

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美の巨人たち 旧開智学校校舎&築地本願寺&東京タワー

放送:2020年5月23日

国宝です。

144年前に建てられたこの学校が今私たちに語りかけてくるものは何でしょう。

摩訶不思議な寺院があります。

どうしてこんな形をしているんでしょうか。

333メートルの塔が私たちにもたらしたものはいったい何でしょう。

今こそアートの力を第2弾。日本人が作り上げた名建築。

その美しさと思いの形を見つめます。

 

長野県松本市。国宝・旧開智学校校舎。

明治9年に建てられた小学校です。

珍しいのは擬洋風建築という西洋の建物になぞらえた様式で建てられたこと。

去年国宝に指定されました。

どこか晴れやかな気分になるのは車寄せのエントランスの造形です。

木で作られたギリシャ風の柱。

中国風の龍の彫刻が見事。

青空のようなブルーで塗られたバルコニーには白い雲が浮かんでいます。

お寺のような唐破風の屋根の下には学校名が入った表札が。

この天使の秘密は後ほど。

中に入ってみれば松の板の長い廊下。

白い壁に白い天井。

明治の初めだと考えれば西洋風の相当ハイカラな作りです。

学ぶことの面白さ。楽しさを今に伝える教室。

開校当初教師は30人。児童の数は千人を超えていました。

この教室で最も珍しかったのがガラス窓です。

明るく開放的な西洋の窓に当時の子供達は驚いたことでしょう。

使われたいたガラスは全部で2500枚。

あまりすべて海外からの輸入品でした。

建てたのは地元の大工の棟梁さん。

名を立石清重と言います。

ほんの少し前まで江戸時代を生きてきた棟梁はどうやってこんな西洋風の建物を作ることができたのでしょうか。

松本藩に出入りする城下一の大工だった清重は学校建設のリーダーに抜擢されました。

ところが西洋の建物など建てたことがありません。

悩んだ末にピンと閃いたのです。

そうだ東京に行って最新の西洋風建築なるものを勉強しようと。

為替バンク三井組を見てびっくり仰天し、東京大学の前身・開成学校はつぶさに研究し、清重は一心不乱にスケッチしたのです。

完成した開智学校には驚くべき技が隠されていました。

東洋と西洋が融合した証がいたるところに。

例えば真っ白な外壁の腰の部分。

石を積み上げているように見えますが石ではありません。

一体何なのでしょう。

 

 

開智学校の外壁は実は石積みではなく、漆喰の技で作り上げたものです。

気鋭の左官職人鈴木亮佐さんに再現して頂きました。

ベースとなるのは土壁です。

石の形に木枠を取り付け、内側に目の細かい土と短く切った藁を水で合わせた「中塗り土」を何層にも塗り重ね厚みを出していきます。

剥落を防ぐため周囲に土を斜めに盛って整形。

さらに強度を増すために砂を混ぜた漆喰で全体を覆います。

ここから石っぽくするために、灰炭を混ぜた黒漆喰で石に見せたい部分を塗りあげていくのです。

「灰炭には油分が含まれてるから、水には溶けにくいんですけど、アルコールで溶かすことはできる。なので昔の左官屋さんは自分の飲んでたお酒とか好きなお酒でよくなじませてから漆喰に練り込んでた。漆喰の中で黒を出すというのは一番難しいんで、なかなか技術も時間もかかる」

最後にきめの細かい漆喰で仕上げ、完成です。

立石清重は左官の技だけで、西洋の石積みを見事に表現してみせたのです。

校舎には坂の上の雲を目指した時代の心意気があふれていました。

気になる旧開智学校の表札・天使の正体は。

実は庶民の間で流行した錦絵入りの新聞です。

新聞名を掲げているのがこの天使たち。

同僚の立石清重が東京に行った際に持ち帰り、そのまま表札に採用したと伝えられています。

学校に行きたい。教室で勉強したい。

子供達は心弾ませこの道を通ったのです。

文明開化の情熱とエネルギーの結晶です。

旧開智学校校校舎。子供達の希望の学舎。

 

 

日本建築史上最も謎めいたお寺があります。

東京に。

重要文化財築地本願寺

実に摩訶不思議な姿です。

高さはおよそ34メートル。

横幅はおよそ87メートル。

伝統的な寺院とまるで印象が違うのは、木造ではなく石造りだからでしょう。

しかも大きな屋根がありません。

代わりにどーんと置かれているのが巨大なドーム。

玉ねぎのような形に蓮の模様があしらわれています。

正面に立つとまるで西洋の宮殿さながら。

石積みの階段を上っていけば4本の石柱がそびえています。

作者は伊藤忠太。

神仏建築の巨人とうたわれた人です。

明治神宮平安神宮も彼の代表作。

大正12年関東大震災による火災で木造だった築地本願寺の伽藍が焼失してしまったのです。

新しい本堂の設計を任されたのが伊藤忠太。

問題はなぜこんな造形になったのか。

明治35年伊藤忠太は帝国大学の教授になるにあたって、政府から3年間のヨーロッパ留学を命じられます。

彼はヨーロッパに到着するまでを3年間と考えて、日本から中国、中央アジア、インド、中東、ヨーロッパと大冒険とも言える旅を敢行しました。

人類と建築の歴史を学び、日本建築のルーツを探る旅となりました。

そして確信を得たのです。

伊藤忠太は築地本願寺の新しい本堂を地震と火災に負けない建築へと進化させるため、鉄骨と鉄筋コンクリートを使い、その上に石を積み上げました。

わずか3年という、当時としては異例の早さで完成させたお寺の外観は、あっと驚くインド風。

伊藤にとって鎮魂と復興の祈りこそがこの寺院の使命。

その思いがこの姿になったのです。

本堂には土足で入ることができます。

お寺と教会を合わせたような不思議な空間です。

見上げればパイプオルガン。

仏教賛歌という合唱曲の伴奏などに使うのだそうです。

天井は講師で組まれた格調高い折上格天井。

圧巻はご本尊が安置されている外人です。

黒漆塗りの床の上に高さ3メートルを超える絢爛たる黄金の宮殿(くうでん)。

金沢の職人が打った5万枚の金箔が使われています。

周囲の化粧柱や化粧梁には岩絵の具で仕上げた鮮やかな紋様。

コンクリートの上にモルタルを塗って布を貼る。

その上に漆を施し岩絵の具で描くという手の込んだ作り。

最先端の建築技術と、伝統技法が絶妙に組み合わされていたのです。

伊東忠太はただインドの仏教寺院の姿を借りただけではありません。

この建物に意外な仕掛けを潜ませていたのです。

象がいてて猿がいる。虫がいて葉もいる一体何のために。

 

築地本願寺の正面をご覧ください。

石段の左右には想像上の動物が鎮座しています。

左側は口を閉じ、右は口を開いた阿吽の姿で。

軒の下には2頭の象かせ。

本堂の入り口の脇に作られた階段を降りてみればお猿さんがこちらを見ています。

どうして築地本願寺はいろんな動物たちでいっぱいなのか。

謎を解く鍵は伊藤忠太のスケッチに。

子供の頃漫画家になりたかったと言う彼は、おびただしい数の怪物やお化けのスケッチを残しました。

*******

「生来化け物が大好きで、幼少の時母の膝に抱かれて数々のおとぎ話を聞かせられた。中にも化け物の出てくる話には

仁を今日買ったものである。

しかしよく考えてみるとどれでも化け物とは極めて親しみが深いはずである。

伊藤忠インド風の外観を持つ仏教寺院に心を捉えてやまない

不思議な動物や異形の物等を置くことで人々と築地本願寺をつなごうとしたのです。

関東大震災の後に生まれた神です。

仏教とはお寺とは何か

その長くて深い探索の果てに生まれた姿です。

築地本願寺

鎮魂と復興祈りの形。

 

 

東京タワー。

雲ひとつない青空に見る東京タワーとてもいいね。

今日はイシスね

東京タワーを見るには

完璧な条件がそろってます

日本で一番有名な建造物かもしれません。

昭和33年竣工。

東京タワー高さ333メートル。

完成当時は世界一の自立電波塔でした。

真上から見れば一辺が80メートル正方形使われている

鉄骨の重さはおよそ3600トン。

展望台80メートルのアンテナが備え付けられています。

昭和28年テレビ放送の開始と共に我が国は巨大な電波塔必要としていました。

目指したのはエッフェル塔シノン世界一の高さ設計を任されたのが頭博士と呼ばれた男内藤多仲

この時72歳。

相棒は小さな計算尺

コンピューターはおろか電卓つらなかった時代です。

内藤多仲は建物の安全性を確保するために必要なありとあらゆる複雑な構造計算を

この小さなドームひとつで行ったのです。

作り上げた東京タワーの設計図は1万枚にものぼりました。

昭和32年6月着工。

誰も経験したことのないお仕事に全国から腕利きの職人達が集められました。

鉄骨の鉄棒に使われたのは直径2センチ、長さ10センチ程のリベットです。

それを土で800度に熱し、バサミでつまんでなに

渡しますローミングと熟練した職人たちの技。

これを鉄骨に空けた穴に差し込んで両側から打ち込んで密着させるのです。

それがこの数って考えたら

ちょっとと思うもないですよね

あれ一個一個が

人の手が打ったのかなって思うと

本当に人力で間違えたんだなって思うとちょっとすごいですね。グッときますね」

目も眩むような場所での仕事です。

当時の現場リーダーで命知らずの作業に携わった元鳶職人の桐生さんはこんな風に語っていました。

嵐長沼駅前に上がってるでしょ

だからいくら高くなってもね

科学的にはこれなんだタコメーターでも

面白いよそんな難しいくんなかったね

夕食って慣れた第えーと話わんのはね

好きなんだな

日本人の誰もがワクワクドキドキしながら

その日を待ちわびていたのです

最後の難関は長さ80メートル。重さ100トンを超えるアンテナの250メートルの高さまでワイヤーで吊り上げ所定の位置に収めるのです。

ひゃくからごひゃくよんじゅーさん

昭和33年12月23日世界一の電波塔。

東京タワー完成宇宙の言葉です。

タワーの美しさについて

別に作為はしませんでした

無駄のない安定したものを

追求していった結果できたものです

馬場修二の作った美しさとでもいえましょう

333メートルという数字は構造計算を積み重ねた偶然の値だったのです。

その姿に私たちは今繊細な削り出しの技が一筋一筋に魂を宿す

純粋な白は

 

ロングライフデザインを床にマイクロストライプ誕生

 

 

降り積もった

歳月はろくじゅー年を超えました

それでも変わらず当たり前のように立ち続けて

いま東京の真ん中に

心の真ん中に

ごふんに向かって伸びてってるのが

もう哀愁があって

なぜか東京タワーに目が行くのって

何なんだろうなと思うと

そんなか巨大な孤独感が

そこにポツンてあるからつい見つめてしまっていうか

ホッとしたり気持ちが上がったりするのはその孤独に勇気をもらってるのかもしれない

すねずっと立ってて欲しいです

東京の真ん中で時代の鏡であり人々の思いも映しているのかもしれません。

旧開智学校文明開化という時代に生まれた子供希望

の学舎関東大震災の被災から復興を遂げ人々の心をつなぐ祈りの形

築地本願寺大地に根を下ろした精霊のように今日も立たずの東京タワー建築には

私たちに言う与えてくれる力がきっとあるのです。

 

 

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