チャンスはピンチだ。

響くアートの愛好家

新美の巨人たち 金谷善一郎・眞一 日光金谷ホテル

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「今こそアートのチカラを」第15弾は、現存する日本最古のリゾートホテル『日光金谷ホテル』。約150年前、外国人専用の宿泊施設として創業。長い歴史とともに増改築が繰り返されてきました。過剰にも見える和風装飾が施されたのはなぜ?創業者・金谷善一郎はもともと武士だった?長男・眞一が行なった大胆な改革とは?貫地谷しほりさんが、聖地・日光に外国人向けホテルを造り上げた、創業者一族の奮闘の歴史をひも解きます。

 

日経おとなのOFF 2020年 絶対に見逃せない美術展(日経トレンディ2020年1月号増刊)
 

美の巨人たち 金谷善一郎・眞一 日光金谷ホテル

放送:2020年8月22日

 

奥日光中禅寺湖湖の水が華厳の滝となって

こぼれ落ちそこに端を発する

大谷川が街を貫くのが栃木県日光市です

古くから聖地として

崇められてきたこの家に

日光東照宮が建てられたのは

江戸時代初期化の徳川

家康を祀るために作られました

以来日光詣でが盛んになり町は

大きく発展します

今日のお目当ては

その東照宮に寄り添うように立つ

日本を代表する近代建築のひとつ

時代と共に変化し続けてきた

まさに日光の奇跡

新宿の日光を訪れたのは

女優の貫地谷しほりさん日光っていうと

小学生の時にみんなで移動教室みたいなので

日光東照宮

行った思い出がありますね

いちじに囲まれたアプローチの先に

見えてきましたよ真っ白で素敵

今日の作品金谷善一郎しんいちさく

日光金谷ホテル創業は

およそひゃくごじゅー

年前現存する日本最古のリゾートホテルです

敷地内に広がる建築群は

ホテルの長い歴史と共に

増改築が繰り返され

てきました

とこには生地

日光に超一流ホテルを作り上げた創業者と

息子の奮闘の歴史が詰まっているのです

中どうなってるんですかね

最も古い建物が白亜の西洋風建築本館です

早速中へ入ってみましょう

爽やかな会館から

フロントはアンティーク感たっぷりの

重厚な雰囲気です

吹き抜けのに階部分には

神社建築を思わせる赤い欄干寒いですね

たった今潜ってきた

クラシカルな回転扉の上には豪壮な雲龍の彫刻

日光金谷ホテルには

一見過剰に思える和風装飾が

いくつも施されています

なぜこのホテルは歯にこだわるのか

そして館内の至る所に建築上ありえ

ない工事が行われてる

考えられないでは幾多の困難を乗り越え

河野宝となった麗しきホテルの物語よ

なぜ西洋式ホテルに

たくさんのはの装飾があるのか。

その謎解きに向かいましょう。

 

ロビーから続く階段は洋風の城と和風の赤い欄干が独特な雰囲気です。

「エレガントな印象的なに階のダイニング

窓から見える木々の緑が

内装の白と青華やかなハーモニーを奏でます

お家謎を解く鍵を見つけたようですね

これはの日光といえばのあれですよ

こちらの

彫刻でございますけれども

日光東照宮にもございます

見ざる言わざる聞かざるの彫刻でございます

日光金谷ホテルには

他にも東照宮の有名な彫刻を模した装飾が

各所に散りばめられています

実は日光を代表する二つの建物には

深い関係があるんです

こちら日光金谷ホテルの創業者金谷善一郎様ですね

日光東照宮に仕えていた武士でございまして

科学を担当していた各人でございまいったい

なぜそんな男がホテルを始めることになったのか。

東照宮の隠しとして潮吹いていた金谷善一郎

明治14年人生の転機を迎えます。

ようこそいらっしゃいヘボン式ローマ字を考案したアメリカ人のヘボン博士

日光を訪れた宿に困っていた時に自宅に泊めることになったのです。

明治初期外国人に対して深い偏見があった時代。

近所から白い目で見られ嫌がらせも受けたそうです。

しかしこれをきっかけに善一郎は自宅を利用し外国人専用の宿泊施設、金谷カテッジインを開業します。

一体何があったのか。

クラシックホテルに詳しい作家の山口由美さんによれば、

徳川幕府の体制の中でストレスから仕事がなくなってしまうわけですよね

何かしなければっていう思いはあったと思う

そういう中でも博士に出会い、外国人にとって非常に来魅力的な土地だからこれから

もっと来るようになるだろうって、

いうような話をするね

それで外国人もう止めるっていうこと

商売にしていこうという風には

決心をする博士の予言は

的中秘書に適した

外交官たちの間で人気が高まり

金谷カテッジインも徐々に繁盛します

ところが外国人の国内旅行規制

が緩和されると

日光にライバルホテルが立ち並ぶことに

そこで鉄道の日光乗り入れをきっかけに

善一郎はいち年まだ建設途中だった

ホテルを買い取ると

明治26年現在の日光

金谷ホテルを開業させるのです

元々ですね金谷善一郎さんが

こちらを買い取った時にはですね

純正yoshiki

ホテルでございました

本館に階にあるホテルで最も古い食堂も

開業当時は白い西洋式のしつらえでした

善一郎は大胆に手を入れて

和の趣に一変させます

柱にはボタンの彫刻

今では天井に見事な装飾が施されています

その通りですね

ホテルご利用いただく方々のきゅーじゅーご

ぱーせんとは海外のお客様で

ございましたので

そういった方達を楽しませたい

という想いからですね

少しずつ日本のものも取り入れたという

外国人客にとって快適な空間を提供しながら

和風の装飾を見て楽しんでもらいたい

善一郎の東照宮で培われた美意識と

自宅に外国の

人たちを招いて得た経験が生きたのです

さらに客を喜ばせる驚きの仕掛けが

こちらに向かったのは

明治さんじゅーよん年に建てられた

進化広いですね

天井も高いタイのバンケットホール

きゅー階の床も当時のままの姿です

この空間の秘密を

一級建築士で作家の稲葉なおとさんに

教えてもらいます

実はこの金谷ホテルには

建築の専門家からすると

そのありえない工事がですね

実はに箇所あって

その一箇所はここなんですけど

パッと見ていただくと走らないので

それで人間はこのホールと増築した

客室のある木造二階建て

バンケットホールの上の階に

じゅーの客室を作ったため

普通なら重さを支える柱が必要になります

頭も使わず

この大空間を実現させた

ありえない作りとは

2階の重さを支えるために

まず屋根と壁の強度を上げました

そこから鋼の建材でに

階の床を吊り上げる行動にしたのですが

あったりとか

そういう時代じゃない

明治34年の頃に頃

行ったってことがありえないな

なぜそうまでして柱をなくしたかったのでしょう

次回は鹿鳴館

その何年か前にできたりとか

急速にその西洋の文化が入ってきた時期

なんですよ

外国人をもてなすために

舞踏会が開ける大ホールが

必要だったので

イチローは東京に負けない美しい迎賓館を

この日光に作ろうとしたのかもしれません

夢が詰まったんですね

当時のここは

絶対柱が何かを作りたいっていう顔して

幾多の困難を乗り越え開業した日光金谷ホテル

それ今日の宝に育て上げた男がいます

金谷善一郎

には二人の息子がいました

長男真一は父の後を継ぎ

次男肖像は箱根富士屋ホテルに酷い父と同じ

外国人向けのリゾートホテル力を尽くしました

さて日光金谷ホテルが開業して

さん年後の明治にじゅーきゅー

年東京の学校に寄宿していた新一は

急遽父に呼び戻されますそして魅せ

られたの金庫の中身

何とほぼ空っぽ

順調に事業を拡大していたはずなのに一体何が。

 

 

明治29年日光金谷ホテルを存亡の危機が見舞います

創業者の金谷善一郎が長男真一に見せたのは

ほぼ空の金庫でした

その頃日光にホテルが乱立し客を奪い合い

金谷ホテルも経営が火の車だ後に二

代目社長となる

日にちは客を獲得するために

すべてが日光勝つ

という大胆な改革に乗り出します

最初に電話を開設

これは予約の拡大に寄与しました

さらにボイラーを設置給湯や暖房設備を整えるなど

他のホテルにないサービスを拡充

いち早く自動車も購入しました

駅からの送迎や

中禅寺湖への観光の足として使うことで

客の評価を高めたのです

新一の改革は功を奏し

金谷ホテル

日光を代表するホテルになっていきます

映画軌道に乗ると

しんいちは日光を飛び出して

世界一周旅行ななヶ月かけて

世界中のホテルを視察しました

この経験が後に大きく役立つ

のです来る時

気になったんですよすごくようなのに

ここはすごく純和風な世界一周からも

昭和10年に建てた別館です

エントランスは寺社仏閣に見られる唐破風の屋根

扉の脇に職人が掘り出した寅年

滋賀狛犬のように睨みを利かせています

他にも窓の形やその下に備え付け

たってすり屋根にも美しい

純和風の意匠を凝らして

いかにも日光らしい建物に仕上げました

しかしに世界を見た男

進一のこだわりは客室に入ってこそ分かります

昭和天皇も宿泊したと言う

最上階の角部屋を見てみましょう

ちょっと驚きますよほら

目に飛び込んでくるのは大きく開い

たあーと日光の美しい自然を

絵画のように切り取っています

日本では作ることのできなかった

巨大な一枚ガラスしんいちたっての希望で

海外から輸入してまで備え付けました

世界一周中に宿泊したアメリ

キャニオンホテルの絶景を望む

窓に見せられたからだといい

自らのホテルに新

一が求めたのは客を驚かせ

エンターテイメントでした

この窓にはいくつか秘密があるのに

これいち枚に枚さん枚重ねになってるので

窓の内側にに

枚の戸が備え付けられているのがわかります

かこの障子風のガラス戸を閉めると

部屋の雰囲気が和室のように様変わり

外国の人

はさぞ喜んだことでしょうね

そして一番内側にある襖風の板戸には

深い意味がもう日光っていう場所自体が

その非常に暴風の災害に遭いやすい時期

なんですよ

いたとなんであんなにとっていう

台風が来たって言うな

時にはとにかくまずこれを閉めれば

お客様のそのガラスが

割れたりとか

そういう災害が

少しでもこうして切るんじゃない

簡単にこうしてみればいいと思って

ワクワクするしつらえたそれを支える堅牢なつくり

真一は一流ホテルに求められる要素を取り入れて

極上の空間を誕生させたのです

覚えてますか

日光金谷ホテルのありえない構造

その二つ目がこの本館に施されているんです

一言で言うとですね

もともと二階建てだった建物を

地下を掘ってさん階建てにしたと言う

今そこの玄関になってる部分っていうのは

地面の人だったんで作ったんで

元々本館はに階建てここまで地面でした

新一は地下を

掘り下げ栃木名産の多い気を使って

現在の一階を増築しました

いったいなぜこんな難工事を考え付いたのか

実はしんいちその手腕を買われ

あの貞子ホテルの取締役も兼任していました

その時未曾有の大災害にあうのです

関東大震災しかし

フランクロイドライトが設計した大谷石

使った建築はびくともしませんでした

それを目の当たりにした

新一石造りの堅牢さが生み出す美しさを

日光金谷ホテルに行きたいと考えます

名建築家ライトの真髄を日光に持ち込んで

こうして世界に誇れる

たたずまいのホテルが完成を見るので

おっと忘れちゃいけないリゾートライフに

欠かせないあれも

日にちはちゃんと考えていました

食事の時間ホテルひゃくごじゅー

年の歴史を代表する一皿ご用意しました

日光ニジマスのソテーかなyahooでございます

中禅寺湖で養殖をしておりまして

こちらから取り寄せました

桃井修ふわふわですね

豊かな水をたたえる奥日光

中禅寺湖しんいちは

外国人に人気の釣りを観光の目玉に取れた

ますで料理を表しました

そんな日光にも弱点が一つ

冬になると観光客が激減してしまうのです。

そこで考えた起死回生の秘策とは。

 

 

 

日光金谷冬の寒さによる

売り上げの落ち込みに悩んでいました

そこで考えたのが

寒さを逆手にスケートリンクの解説

目論見は大成功冬も大勢の外国人客

がやってくるようになりました

夏になるとリンクは涼しげな蓮池に

大変客も従業員もそうでの盆踊りで大賑わい

季節を問わず泊まって

楽しいリゾートホテルになって行きます

金谷一族が経営を退いたのはに年前でも

その精神は今も息づいています

実験的な意欲すごい伝わっ

てきました

ねきた人を楽しませたいとか

ここで何がしたい

と思わせるようなホテルにしてやろうっていう

いつでもどんな時でも進化し続けるたか

そういう思いでもの感じたので

なんか鼓舞される

と言うかそんな場所だなと思いました

旅の形が大きく変わろうとして

いる今日本が置かれたクラシックは

これからどんな進化を遂げていくのでしょう

日光金谷ホテル変えてはいけないものと

しなやかに変わっていくもの

二つの魅力が奇跡の調和を見せる。

 

 

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