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新美の巨人たち 不思議な形の劇場の秘密!村野藤吾『日生劇場』

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設計は大阪を拠点に活躍し、独創的な作風で知られる村野藤吾

「東の丹下、西の村野」と評された建築界の巨人です。劇場は1963年竣工の「日本生命日比谷ビル」内にあり、建物全体が村野作品。

細部にわたって作り込まれ、中でも劇場内部は世界に類を見ない造形です。

特に天井に手作業で貼られた約2万枚もの貝殻は圧巻!

今回はそんな『日生劇場』の不思議な形の秘密に迫ります。

 

日経おとなのOFF 2020年 絶対に見逃せない美術展(日経トレンディ2020年1月号増刊)
 

美の巨人たち 不思議な形の劇場の秘密!村野藤吾日生劇場

放送:2020年9月26日

 

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休業を余儀なくされた劇場が今、ステージの光を取り戻しつつあります。

日本シャンソン界の女王、越路吹雪が伝説のリサイタルを行い、今のミュージカル界のレジェンド達が愛してやまない舞台です。

この客席は数え切れぬほどの感動と興奮を刻んできました。

今日の作品です。

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村野藤吾作、日生劇場

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うねる壁。

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波打つ天井。

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そこかしこに不思議な造形。

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竣工から57年。

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今見てもめまいのするような斬新さ。

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日生劇場はなぜこんな形をしているのか。

「職人的な、ちょっと今の劇場では考えられないやり方ですよね」

「すべてに行き届いてる。あってほしいなっていう形が実現できている建物ではないかな」

彼の設計する建物には必ず新しいアイディアがありました。

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建築家、村野藤吾

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竣工当時72歳。

日生劇場は村野にとって建築界へのリベンジ。

そして形となって現れた幼少期の切ない記憶とは。

それでは村野藤吾の不思議な建築物語、開演いたします。

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東京日比谷。公園沿いの一等地にその建物はあります。

ゲストは南果歩さん。

「ちょっと独特な、他の劇場にない空気があって、それはちょっと何だったのかなーって今日はその答えがわかるんじゃないかと思う。すごく楽しみにしてきたんです」

独特な空気が流れる理由を探っていきましょう。

全体が村野藤吾の設計。

日本生命70周年の記念事業として計画された建物です。

潤沢な予算とご年の歳月を費やし1963年9月竣工。

百年持つ建物にしたいと村野が選んだ素材が石です。

外壁に岡山県産の花崗岩、万成石。

「このタイルとかすごく細くて、こういうモザイクもなんかおしゃれだなと思ってましたね」

白と黒の大理石で描かれた楽しげなモザイク画。

ここは幅広い世代に向けて開かれた劇場なのです。

「ゴールドですね」

エントランスをくぐると吹き抜けの巨大な空間が待ち受けます。

見上げれば天井にメタリックな幾何学模様が。

ここは日常生活とは切り離された場所。

不思議な世界が既に始まっています。

床の大理石がそのまま隆起してできたような案内カウンター。

重厚な素材を軽やかに扱うのは村野建築の特徴のひとつです。

「すごい遠近法がなるほど。柱の高さが変わってきてますね」

この空間。実は階段上に高さが変わっています。

奥の柱は実際に小さいので遠近感が強調されるのです。

「広く感じる楽しいですね。お芝居が始まる前に劇場の演出が始まっている」

続いては赤い絨毯のホワイエ。

階段が官能的なカーブを描いています。

村野藤吾は階段の魔術師とも呼ばれる男。

新体操のリボンのように鉄板を曲げて作られた踏み板。

アーティスティックな黒い支柱がそれを支えます。

ではいよいよ劇場内部へ。

 

 

日生劇場最大の特徴がこの天井。

二万枚の貝を手作業で貼り付けこの模様を作り出していました。

「本当に曲線丸く包まれている感じ。そして角がないですよね」

目に飛び込んでくるあらゆるものが曲線。

壁のガラスモザイクも客が怪我をしないよう丁寧に角が取られています。

「すごくリラックスしてお芝居に集中できるし居心地が良いですね」

優しく包み込まれるような心地よさ。

世界広しといえどこんな劇場は他にありません。

建築家はいかにしてこれを作り上げたのでしょうか。

佐賀県唐津市

明治24年村野藤吾はこの家で生を受けました。

北九州八幡で育ち、早稲田大学を卒業後建築家

渡辺節の事務所へスカウトされます。

現在国の重要文化財大阪綿業会館村のはヘッドドラフトマンとして

この建物の設計に携わりました。

渡辺先生のところで修行して良かったと思うことは

どういう狙いをしたら美しく見えるかという練習をしたということだと思います

その美しさゆえの美しさというもののほんの細かいところまでいささかもゆるがせにしないというやり方なんです。

細かいところまでゆるがせにしない日生劇場にも

その建築思想が貫かれています。

僕らの証明を照らす部屋なんですが影になる部分を気をつける感じで

このガラスモザイク自体にも家をつけてお客さんからほとんどまず見えない

このこんなに変わるんですよね客からは見えないこんな場所まで壁のガラスモザイクを作りこんでいました

すごいやっぱりこう仕事ってこういうことだと思います。

あの目に見えないところをどうやって美しく綺麗に気持ちよく仕上げていくかがその全部表にそれが出てるんじゃないですか

例えばこのドアハンドル。

バイオリンの絵藤子をイメージして村野がデザインした特注品です。

57年前にこれを手がけた工場では今年その再現に挑んでいました。

削り出したアクリルの部分的に加熱。

柔らかくなったところで一気にもあげます

透明だからこそごまかしが効きません。

加熱に最適な温度や時間を割り出すのに何日もかかりました。

改めて我々がハンドル周り注文をもらったのですね

できないと思いますよそういう時代のためにも入りそういう無理難題

そしてそれを実現してる

工事を存続させていかないと村野からのムチャぶりに職人たちが答えたからこそ実現した様々な形。

日生劇場ではあらゆる場所に尋常ならざるこだわりが抜かれているのです。

ではこの幻想的な激情の内部空間はいかに出来上がったのでしょうか。

大阪を拠点にした村野。

今も駅前にある梅田吸気塔は地下階に空気を送るための設備です。

その佇まいはまるで現代アートのモニュメント漫画ブラックジャック46話アリの足小児麻痺の少年が広島からの徒歩旅行の末にたどり着いた

大阪手塚治虫はその感動的なラストシーンに梅田吸気塔映画大阪を象徴させています

村野は自ら油粘土をこねてこの不思議な形を生み出しました。

手で物を考える人なのです。

理屈では説明のつかない形。

しかし見るものに強烈な印象を残す劇場の内部空間もまた理屈を超えた村野ワールドの造形作品です。

どうやって作っていたのでしょうか。

模型製作を無駄逃している時の写真が写っているアルバムです。

あの壁や天井も粘土で生まれました削って足して削ってはまた出して手直しするたびに音響の専門家及び音の反響具合をテストしました。

劇場なんてのはもうみんながやり尽くしてやるのがないわけですよ

何しろどうやったやつはやりたくないんだという

誰でも一種の反骨精神があるでしょ。あの家と青春のようなものですか

多少そういうふうなものが私にはあるのです

世界中どこにもない劇場を誰も作ったことのない形で。

そんな反骨精神が村野を突き動かしていたのです。

なぜならこれはつー年前に受けた屈辱の離婚試合だったから。

始まりは有楽町駅前の村の東の端でとぶつかります

 

 

私の昭和の名曲

フランク永井有楽町で逢いましょう

有楽町そごうのキャンペーンソングでした。

この建物実は村野作品。

今は家電量販店が決めるその7階に当時の姿を止める場所があり

まやっぱりこの曲線ですね

日生劇場竣工の6年前。村野はここにも劇場空間を作っていました

人気映画日生劇場の原型がありますよ

よみうりホール包み込むような

柔らかな曲線の造形はそのままに

劇場に通じるところがあります

この建物今や有楽町駅前のシンボル

しかし建設当時村の話題批判を浴びせられます

読売なんて言ったら

私はもういのちとりみたいでした

一体何があったのか

うまる食って服

たまたま隣で

丹下健三東京都庁舎っての建設してい

たので非常に比較されたわけですね

世界のパンでその頃

既に建築界に名を轟かす存在でした

村野の読売会館ができたのと

同じ歳隣の敷地に

丹下健三設計による旧東京都庁舎が経ちます

機能的かつ合理的な四角い箱

いわゆるモダニズム建築スタイル

1931年にルコルビジェ

パリ郊外に建てたサヴォア邸が

モダニズム建築のそもそもの始まり

例えば一回を走らだけの開放空間にする

ピロティの概念はコルビジェが生み出したもの

この建築思想が戦後の日本に根付いて行きます

あてものを見れば一目瞭然。

日本建築界の重鎮は共にコルビジェの弟子前川くにおに学んだ

丹下健三は言わばコルビジェの孫です

東京大学で教鞭をとりながら公共建築を次々に描ける日本建築界のエースでした。

村野藤吾は東京の建築界とは距離を置き、大阪を拠点に活動。

そんな村の東京へ乗り込んできて丹下先生の隣で

ヒロチーも窓もない商業施設を作ったと知れ渡るや

既読して決め臭気を放っている人で

登録してるような感じはどこに三角関数に対しては強く不満で

あんま言われたい放題言われましたんですけど

公共建築の方が位が上で商業建築が少ししたみたいに

見方公共が上で大阪がそれましたみたいな

そういう構図も重なっちゃったのですから批判をされてしまうね

それを忘れなかったこの恨みはらさでおくべきか

まもなく村野にリベンジのチャンスが生命保険会社から

事務所兼劇場の設計依頼。

1階には公共建築さながらコルビジェ由来のピロティも設けました

そしてどんな批判も跳ね返す位の高い質です

デザイン性素材機能こだわり抜いて民間の施設を作り上げるので

中でも特徴的なのが貝殻を貼り付けた天井。

実はこれ読売会館の時点で

構想していたものでした

私はひ読売をやるときから

信じを使おうと思っていたのですが

オパールの色が非常に私には魅力なんです

貝の中には真珠層と呼ばれる美しい光沢を持つものがあります。

この輝きを利用した螺鈿細工の歴史は建物の装飾に使われることもあります。

しかし村野はプレスした貝殻をそのまま貼り場内に光沢を出そうと考えます

太刀魚の鱗をイメージして貼った枚数

およそ2万枚。

こうして誰も見たことがない劇場が誕生しました。

建物は日本建築学会賞を受賞。

村野熱いに勝利するのです。

これをきっかけに村野の表現はより自由に羽ばたいていきます

理屈では説明のつかない世界へ愛してる

そして最晩年の傑作には日生劇場と同じあれ

すごいよろこびがつなぐ世界へ

キリンガレージライフ

を楽しもうオールフォーロングライフヘーベルハウス

村野藤吾最晩年の傑作グランド

プリンスホテル新高輪竣工時きゅーじゅー

いち歳その大宴会場、飛天は日生劇場と同じように天井を貝殻で埋め尽くしました。

その数およそ30万枚。

床を張るっていう

そのモチベーションはちょっと半端じゃないですね人が集う空間をいかに心地よく子を包み込むかっていう人々が

集う場所を心地よく包み込むように作り上げる

これは村の作品の不思議な共通点で

母体回帰していくようなね、なんかそういう心地よさをそれは本当に全部ですよね

その理由は村野の生い立ちに。

体の弱い母に代わり村野藤吾は生まれてすぐに預けられます。

そしてそのまま12歳まで両親と離れて暮らしていたのです。

寂しいよ少年時代を過ごしてるんであるし

自分のメンタリティ偽物か

あったのかもしれないんですけど

自分がすごく孤独な部分があったんで

だからこそ建築は人を包んだねなきゃいけないよってよね

私の物心ついてからのいろいろな印象。

これは一生営業しているのかもしれません。

安心できる場所を心からくつろげる空間の村野藤吾日生劇場

包み込まれたかったのは誰やろ建築家地震だったのかもしれません。

 

 

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