東京・六本木に、日本が世界に誇る現代アーティストたちが大集結。
1950年代から2000年代まで、それぞれの時代で日本を飛び出し、世界に衝撃を与えた6人です。
彼らは、いつどのようにして世界に認められ、今何を考えているのか。
「出世作」と「最新作」を通して、日本の現在地を読み解きます。豪華な対談とインタビューは必見!
【出演】村上隆,李禹煥,奈良美智,宮島達男,杉本博司,草間彌生,【森美術館 館長】片岡真実,【語り】柴田祐規子
日曜美術館「STARS それぞれのデビューから現在」
放送日
2020年1月23日
東京六本木。
今、日本が世界に誇る現代アーティストたちの作品が集結しています。
1950年代から2000年代まで、それぞれの時代で日本を飛び出し、世界に衝撃を与えた6人の展覧会です。
「日本を起点にしたスターでありながら、いかにその人たちが独自の道を歩んだのか。多様な人たちが多様な形で世界的な認知を得られていくということが多数重なっていった時に、ドリームチームというか日本を現代アートには強さがあるというような風に見えてくるんじゃないか」
スター共演。豪華な対談やインタビューで日本の現在地を読み解きます。
今回の展覧会では6人それぞれのデビュー作と最新作が同時に見られます。
では最初の展示室。
作者は村上隆。
世界にその名を轟かせたのが等身大フィギュア。
1998年のマイ・ロンサムカウボーイ。
ニューヨークのオークションでおよそ16億円で落札されています。
日本のオタク文化の象徴だったフィギュアを新たな時代の彫刻作品として提示してみせました。
その3年後。39歳の村上は起点とした新たなアートの概念で世界に戦いを挑みます。
浮世絵、漫画、アニメ。
日本人は西洋の遠近法に頼らずとも素晴らしい平面の美を生んできた。
日本独自の美意識を、世界のアートを牽引する新たな理論として見せたのです。
その村上が対談を熱望したアーティスト。
リ・ウファン。村上よりも30年ほど早く、海外に戦いを挑んだアーティストです。
対談はリの展示室で行われることになりました。
「実際の現場では馬鹿にされて全く認められてない。あいつら絵も彫刻も作れない連中。ただ物を放り投げているだけだ。主張は全然通らないそういう状況でした。60年代後半、70年代はじめ頃っていうのはヨーロッパ、アジアはかなり似ている部分があって、高度成長っていうことと、それからやっぱり知識人の自己反乱っていうか、学生運動だとか色々な、思想上の難しい問題が起こったんです。
つまりその近代がほとんど完成されたっていうかある到達点に達した時にそれが壊れていくっていう。だから到達点と壊れるところが一緒になったところを経験したってことは僕はすごく良かったと思います」
「日本の現代美術史はもの派(1960年代末から70年代初頭にかけて現われた、「具体」と並ぶ戦後の日本美術史の重要動向。主に木や石などの自然素材、紙や鉄材などニュートラルな素材をほぼ未加工のまま提示することで主体と客体の分け隔てから自由に「もの」との関係を探ろうと試みた一連の作家を指す)までが超盛り上がっててね、それ以降めっちゃ盛り上がらなかったんで、羨ましく見てましたね。学生の頃美術手帳とか。めちゃくちゃめちゃくちゃ盛り上がって喧嘩してたよね」
「全然認められないから。今僕は特に日本人じゃなかったので、非常にやりにくいところで追い出されて。段々と外出るようになるんですけどね」
李は1956年。二十歳の時に韓国より来日。
60年代後半、独自の理論で作品制作を始めます。
時代は高度成長期。
作ることを否定し、物や素材そのものを提示することで芸術の既成概念を壊そうとしました。
後にもの派と呼ばれます。
7月。今回の展覧会のためにその初期の作品が改めて作られることになりました。
巨大な石とガラスで何をしようというのでしょう。
初期の代表作《関係項》
人工物のガラスと自然のままの石。
この二つが出会い、生まれる関係性を表現しています。
しかし当時その作品はほとんど理解されませんでした。
そして1970年代。
活動の場をヨーロッパに求めます。
そこでも長く辛い闘いを強いられました。
「先生の時代はやっぱりすごく極端に芸術。アート。洋の東西のアートの断絶と東西の東の方を西洋の方に理解してもらうかっていう、結構そこが大きなハードルが、李先生の場合は特別だったでしょうね。僕なんかはその土台の上に乗っかって理解してもらってたんでラッキーですよね」
「さっき彼のもの見て、彼の仕事見ればわかるんだけども。やっぱりね。すごい面白いキャラクター作ってながらも、皆ニコニコ笑ってるようにも作りながらも、裏の方では毒を持ってるんですね。だから非常に二面性っていうか二重性でそれがもエネルギーそのものになってるから、やっぱりそういう人間が出てきたってのは、これはちょっと異様ですよ。あなただけだもん」
「でもやっぱり歴史はね相対性を持って動いていくんで、僕らはやっぱりその後にネット文化が出てくるんで、そこでどうやってそのネット文化とか特にあのiphoneとか出てきてスティーブ・ジョブスのニューエイジ思想が、僕らはもう浴びるわけじゃないですか。そこからアートって何だろうっていうのは、相対的な構造から離脱させなきゃいけなかったんで、そこは結構、今もその最中ですけど。そこが結構あるんでまあそのヒューマニティックスなんて文脈っていうその部分とちょっと離脱しちゃってる所って言うのでの二面性と言っていただいた部分においては、なんかアンチヒューマニズムみたいなところも、結構大事なテーマになっちゃってるんで」
「たぶんそれはね村上独自な発想だと思うんです。つまりアーティストはね、運動選手みたいなもの。アートというのは選ばれた人のもの。だから選ばれるからには闘わなきゃならない。だからその運動選手たちはただ運動するんじゃなくてお互いに国際舞台で闘うっていう、そういう宿命なんですね。ただこれはそのオリンピックだとか戦争と違って、一位二位を出すとか勝ち負けを決めることよりも、やはり一つのデモンストレーションっていうか、一つの何かを高める高揚の場として絶えず機能する感じがする。村上さんはそういう世界の戦う場に日本、日本のアーティストとして初めてその場を引っ掻き回す。世界の空気を全く新たなものにする契機を作った人間だと思う。特にアジアでは中国韓国でも村上ですよ。これも酷い話なんだけど」
「戦うという意識は僕にはない」
「でも構造論と書いてある」
「でもあれ・・失礼しました」
「闘いですよ。これは闘いです。みんな外出るとねその闘うわけです。闘ってね認められて、ある程度のとこ行くと闘う相手が今度限られてくるんです。それで初めてねそこからスタートラインで、そこ出るまではね誰と何やってるか分からないんだけども、そのある程度の戦場に立つと闘う相手が見えてくる」
「そうですね。キーパーソンは10人位いて、そいつらと掛け合い漫談して、そうですね結構ここに押したけど分かるかなと。分かられたみたいな感じで」
「それは本当そうです。外内でもみんなみんなに入れます
超然としてる人もいるけど実際は内面は庁前じゃないいっぱいシリーズです
僕がいっぱい来日本でちょっとあんまり楽しくないのはそのままね僕らの固有芸術ってやっぱり配管じゃないすか。
これに対してまテレビでもなんでも分かりやすく
まあ僕も若い頃そんな言い方したけど、分かりやすくさせなきゃいけないみたいな
なんかこうムードがあって、あれがつまらんですが
いいこと言ったほんとにね今日本の文化で僕一番の問題はいろんな偉い学者たちとか
その何て言うかなあの文化人たちがねみんなに入門書とか、解説書ばっかり書いてるんですね。自分の専門的な研究しないで
しかもアーティストも寝続けてたらしてね
これは日本を今一番の問題です。
あのお乳美人たち
やっぱり自分の専門的なこと徹底的に闘い会わなきゃならないのに、
これは外が弱いから
日本は日本ほど内側にあるから
もっとハードルを低くして
皆が分かるような野菜ことにしましょう
これは文化をダメにするんです
リノ最新作大和
2000年頃から展開するシリーズのひとつです
描かないことによって余白を
作り出すのがに作品の特徴
描いた部分と余白が共鳴し絵画になるといいます。
村上の新作は高さ5メートル。幅21メートルの超巨大絵画。
中央には日本を象徴する富士山が笑顔でお出迎え
全体には桜が舞っています。
豪華な金箔とプラチナ。
五重塔や松など日本らしさ溢れた風景の中を村上作品でおなじみのカワ
いいキャラクター達が楽しみます。
一見ポップ。でも実は観光名物として消費されていくアート。
それをアイロニカルに描き出した2020年の野心作です。
僕らのお客さんって贅沢三昧の練習ですか
まぁねでも僕
贅沢三昧してる連中は
やっぱりマシンのないとこ
もありつつしかし
やっぱり経験値が半端じゃないので
高崎線上ていますけど
僕の贅沢やってる連中との戦いっていうか
その心の交換と言うか詰め将棋みたいのって
もう今の日本の人たち見えないと思うよね
何の何がやってんのか
全然やっぱりそういう贅沢三昧していて芸術
っていうそのハイカルチャーを
次の世代へ残すっていう
まあ一つの一つま
そんなに大きくないコミュニティがあって
そいつらの大きなムーブメントを
一緒に作ってる中でやっぱり今現在行なってる
ちょうどきゅーで宅食にしても
ライフスタイルにしてもとてもヨットとかそういうもの全部僕
らは調度品の一つにまでなるじゃないすか
だけどちょうど品だけでは
もちろんから買わないわけで
その辺の幸を贅沢と文化
っていうものに対しての拒絶反応が
戦後の日本は極端にあって
バブル経済の衣を
そんなに贅沢してないですよね
自分がいるのだから今もあの何
ですか格差社会っていますけど
その格差の上の方の人間たちのレベルも
低くて超然とした
そのレベルっていうのは見てなくて
やっぱブランド分解レベルで皆は祝い
喜んでるんで
その辺がちょっと悲しいなと思うよね
もっともっと本当に
あのクオリティの高いイノベーションってか自分
の考えたもっと高いものを要求する
買い物要求するか分かんなかったら
その卒これからもっと発展しませんので
作る顔ばっかりそういうもん作ったってんで
それをそのなってかな
その受け入れてくれる人たちが
レベルが高くなかったら
これ成り立たないんですね
日本は今それがその作るか
は消してね
レベル低くないかなり高いんだけども
それを共有するっていうか
受け入れる側のレベルが低いんです
それいけばできれば何ですかね微妙ですかね
それやっぱり世界世界を舞台にしないか
そうだね世界でて
勇気がないってことでしょうね
そして北立ち入り禁止区域でも
入れた簡単に入れて
僕たちは嬉しくなりました
動きが見えた最も崇高なものを見る
パックンマックン続いては
ポップカルチャーを牽引するあの作家
可愛い封筒の中に
申請さや残酷さなどが共存する
少女の絵で知られています
奈良美智意外な告白から取材が始まりました
あなんか多分
すごい島特別な感じで
ここにいるから非常にやりづらい感じでは
作家になろうと思ってないのに
たまたまちょっと甘かっただけで美大入れて
そうっていつのまにか
香坂として見られるになってただけで
なろうと思ったわけじゃないから
すごい辛いならが海外に出て行ったのは
1988年日本の美術大学を卒業後
改めて美術を勉強しようとドイツへ渡りました
ドイツ語も話せない中で
ただ自分と向き合う日々を過ごします
美術史とか理論とか本を読んだり
講義聞いたり勉強はしたけども
やっぱそういう考えには馴染めないというか
自分の中にそういう家
がどれだけ入ってるのかな
窓開けたらりんご畑が見えるようなところで
音楽だけを聞いて
レコードジャケットを眺めながら過ごしてきた
なんか油絵って何だろう
みたいなどこ行ったら
フライ見れるのみちゃんとこに育てたから
あんまりその美術の中に
自分が入っていくっていうことが昔
の自分を捨て去ることに感じられて
うんなんかもっとその美術以前のもの
自分を本当に作ってきたもので
作品が作れないかって思ってましたね
つまりミュートしてなくて
自分しっていう中でそうで
その中で生まれてきたのが
あの背景が無職って感触で
本当に書きたいものだけが
こう書かれている状態で
典型的なあのへの始まりだったと思いますけど
そして生まれたのが
単色の背景に大きな頭をした少女達の絵画
一見漫画のように描かれた少女の表情からは
純粋さと共に不安や怒りなどが触れ
見る者の想像力を刺激します
地雷探知機をあたかも遊び
道具のように手にする少女
そのポップで
毒のあるスタイルが熱狂的なファンを
産みならの名は一躍世界を駆け巡ります
しかし心の内は穏やかではありませんでした
絵の表面的な部分しか理解されず
消費されていくだけ
その思いは今も心の底にくすぶっています
たぶんね
分かる人があるって言うか
この誰がこのレコードも自分はろくじゅー
年代からななじゅー
年代の始まりの頃のレコードますが
ほとんどででみんな俺のことをパンクが好きです
けど確かにパンクミュージック好きだけど
それ以前のものが好きなんですよ
つまりそういうあのーなんだよそれ
やるんですね
パッと見ると
誰と誰でも知ってるローリングとずっとあるけど
streetfighting_manっていうのは
ベトナム戦争に入った時に肉じゃなくって
一緒に転んでもしても
大抵みんなパッと見ると
自分の身だけを見て習って
喉が好きなんだと思っちゃう知らない
ものはどんな音楽なんだよってみようとしない
そういうのがいつも嫌で
それは別に音楽だけで
そんなならを揺さぶるような
出来事が起こりました
2011年東日本大震災とかあって
今日本中すぐ落ち込んで自分も落ち込んで
僕は栃木県の
ちょうど福島との県境に住んでいるので
しかも青森の実家
帰るときはその被災地を全部取っていく
いつも見慣れた
美しい風景が変わってたりするのを見る中で
なんか1回自分の古美術に対する情熱
みたいなのが
崩壊しちゃっては何もできないんじゃないかって
何かまあそういう風に思った人は
たくさんいると思うん
だけどでそんなの中では
被災地で美術をやろうといっぱい出てきて
でもみんな自分の作品を作ろうとして
人たちがほとんどだったので
なんかそこで
また美術って何なんだろうと思って
他者と自分を結びつける
あるいは他社に向けての美術って何なんだろう
って今まで自分が
考えてもなかったこと考えるようになって
その中でやっぱり
自分に戻ることしかできないなと思って
自分と友達達
自分と友達自分と隣の人で
また自分ってまた子に戻って落として
どんな表情するかみたいなことを考えて行って
自然にこうよくよ変ですけど
優しい顔になりまし
たねみたいなその作品がね
奈良の最新作ムーンライト
迷走しているような穏やかな表情
月明かりを浴びた少女の肌や髪には
難色もの色が背景から浮かび上がるような
不思議な立体感が漂います
誰のために描くのか
その問いの先にたどり着いた表現です
そしてこのアーティストの草間
彌生草間が海外に飛び出したのは
1957年にじゅーはち歳で
ニューヨークへ渡ります
に年後初めての個展で発表した作品が
反響を呼びます
画面を細かい網の目が反復し
全体を覆い尽くす絵画
ミニマリズムを先取りした作品が絶賛されます
ナルトのポップな作風が世界中で最小化
水玉の女王として人気を集めます
会場には90歳を超え
今も制作を続ける
草間の最新作が飾られています
たくさんの愛の素晴らしい名の参加として
草間が描き続けてきたシリーズの一つです
草間は今年4月
新型コロナウイルスに揺れる世界へ向けて
メッセージを発信しました
今こそすべての人々の最愛の人類愛と努力で
乗り越えて平和を呼び寄せたいと願っている
そして愛のために呼び寄せた
我々の願いを叶えた世界中の人々よ
今この時こそすべての人類が立ち上がって欲しい
そして既に戦っている人々へありがとうと言いたい
森美術館のすぐ近く路上に
輝く白い壁中では
数字がカウントダウン作ったのは
長年通信を通して性都市を表現してきた
あのアーティストです
宮島達男はちじゅー
年代半ばから数字が変化する
デジタルカウンターを使った作品を
作り続けています
はちじゅーはち年に参加した
ヴェネチアヴィエンナーレで国際的に注目さ
れるようになりました
そのカウンタを使った
初めての作品1/10秒から
いち秒じゅー秒と桁が上がり
全部でじゅーよん桁さんじゅーまん
年を数えることができるという時計です
無限を表現しました
その対談相手は
写真を芸術の域にまで高めた一人と評される
アーティスト杉本博司長年
写真というメディアを使って
映るはずのないものを写そうとしてきました
飛んしたのは
大学卒業後の1970ニューヨークを拠点に
現代美術家としての活動を始めます
デビュー作しろくま今
まさにアザラシをとらえたシロクマの写真
こんな危険な場所に近づくとは
なんていう鉋写真家
なんだと驚きの声を上げた
星が交錯する瞬間
しかし実は博物館に展示されていた
惑星を撮影したものでした
生きていると思えるのなら
生きていることとは何初期のシリーズ作品会計
古代人が見ていた風景を
現代人も見ることは可能なのだろうか
その問いを胸に世界中
の海を撮影して見るものを静かに圧倒します
世界を舞台に活躍する二人が選んだ
対談場所は数多くの日本美術の傑作が集まる
東京国立博物館でした
久しぶりですか
何度も通ったというこの博物館
僕は東北と言うと本当暑いですね
今日はありがとうありがとうここで見た時は
びっくりしましたね
様部の教育をずっと受けてますからね
だからその西洋の空間のパースペクティブと
関連警報携帯壊れてどうなるでしょう
その日本人男優空間意識を生み出した
っていうのはね
僕は日本人として誇りでしたね
perspectiveポイントがあるなんて言うな
異常にしか
くおに下の四角をね
うまく利用してねじゃなくて来られ
心の目で遠近感をなるほど石田行きました
深い話や時間の経過に向こうから
こっちに時間が流れてるのか
左から右流れてるのか
なんか時間があるという音する時間の存在感
トイレの中に展示をするそうですよね
蘇る記憶と時間
子供の時から
何かこうぼくて本当に来てんのかなとね
生きてるってなんだろでで
子供小学3年生ん時にね
友達が突然死んだんですよ
あのなんかなんか麻疹かなんかな
駄菓子屋の息子でね、駄菓子屋の店に祭壇があってその子供を横たって時にしとって死ぬんだってのものすごく強く感じなんですよね
早いですね昨日はできそうに
じゃあ僕ももしかしたら死んでるのかもしれないし
生きて生きてる状態と死んでる状態の境っても外イボがね
わからなかったんですよねお宿ですね
初めて今思い出しましたね。こんなことでそれの後遺症っていうかそれで現実世界の浮遊感というかそれにあるみたいに悩まされて
そこであのしろくまに会った時にコレって
いつもあのあの見ているあの感覚だな
でもこれは
自分だけの異常に病的なビジョンであると思ったがそれを写真に撮って証明できればこれは僕だけが見てる病気じゃないんだと。自分がその見えてるものが人にメール送ってき
そういうその一心でとったんですよね。
まああのそのある子の浮遊感と言うか、生と死が曖昧模糊としてるって
ママさんにそれが世界観であるしそれがコンセプトなんでしょうね。
るねですからその
後にコンセプトっていうか
それはそのせい年をとる
そういうことを素直にも行ってもいいし
俺はそのその時ちょっと勉強し始めた
仏教の禅の思想で
これはもう悟りの境地と言うか
これを編んで
なんかこれを見て何か思え
というような形で
最初は出してきた杉本の最新作
は映画です神奈川県江の浦ここで
杉本はかつてのみかん畑構想
10年20年の歳月をかけ
一大アート空間に仕立てました
映画にはその
四季折々の細部が映し出されています
杉本さんのその例えば
江之浦測候所なんかに行かせて頂いた時に
思ったのが
あの太鼓の時間を漢字で書くと
どういうことなのかなっている
考えてたんだけど多分光がね
その写真に収めて行く時に
光をその時間だけ集めてくるじゃないですか
で光の振る舞いという行動をその全部
そこに請求していてね
愛しの工事関係の紡ぎ出すと思うんですけど
何かねdnaに記憶として残っ
てんじゃないかなと思うよだからね
なんか懐かしい感じの人に感じている僕はね
常に自分の家の中にある
懐かしさっていうのを辿っていく人生だった
と思って最後に結局は海にたどり着くで
自分の子を見ている
目の前の組手のが
あまりこの現代に毒されてない
ような書き方して奇跡的に残っている
海が見える丘低能たどり着いたんですよね
まさにあそこはそうですよね
ですかやっぱりねずっと自分の意識心があって
動物とは全然人間と違うんですよね
確かこの心って
どこから生まれたんだろうという
その不思議な感じですねでこれを
ずっと探し求めてきた感じがしますね
でね心はね
たぶん時間の意識ということ
思った時に心が発生したと思ってるしね
面白いなあそれはあの僕は最近まあ
あのカルロロヴェッリっていう物理学者がいて
その子が今回てんだけど
時間はないっちゅうんですよ
時間存在しない
その時間っていうのは例えばまあ15分とか1時間みたいな観念的な時間があったとして
僕らはそれを1時間っていうの覚えてないですよね
それは多分記憶だとかこうやって話してたと思う
誰かと会って食事してたとかそういうの出来事として記憶
していて今おっしゃったように実は人間がいて空間と時間は生まれてきていいじゃん
少なくなってるだから今逆転の発想なんだけど
時間を意識した時に人間の心は生まれたと同じことだと思うよね多分ね」
宮島の最新作。《時の海》
東北東日本大震災の鎮魂と記憶の継承を願って3年前から続いているプロジェクトです。
青や緑の数字は9から1へのカウントダウン。
宮島は被災した人を中心にその速さを設定してもらいました。
一度消えた数字は再び空へ。
生から死。
再び生まれ生きるその営みが繰り返されます。
今の森美術館で展示してある時の海
東北ってさんも何のためにそういうことしてんのかなって僕自身よくわからなかったんでそのうち作り始めてね、最近すごく思うのがこういうコロナのこともあったりして、何か3千人の小人たちの市屋形が集まった時にですね
もう一度そのあの当時の自分にこう書いて
行くと言うか会いに行く感覚になっていて
でつまりそれは記憶の蘇りだったりするんです
けど多分アートってのは今
生きている人たちにとって
今これからをどう生きるのかとか
より良くんっていう意味でとても重要な役割
果たしてるんじゃないかな
と思うんですよねそれ
では例えばその記憶という話で
10年前にあった大震災の記憶を蘇らせて、あの当時自分たちが考えたこと
エネルギーの問題を考えたり取らせてから
行き過ぎた経済社会を考えたりとかしましたよね
そん時に再び帰ってくるのかで返って
自分たちはこれからどうすればいいのかっていうの考えてもらうとか
そういう子今生きている人たちのためにね
記憶術あるんじゃないかなって思ってるんですよね
人それぞれ時間の流れはね間違えました
子供の頃っていち年は長かったですよね
いろいろな体験ができない
もうすぐですよ私なんかもう死ん
でるのに自分で気づかないだけじゃないかな
これんだ
取材先など
放送記録
書籍
展覧会
STARS展:現代美術のスターたち―日本から世界へ | 森美術館 - MORI ART MUSEUM
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