英国で始まり ―濱田・リーチ 二つの道―
人間国宝濱田庄司が若き日、イギリス滞在中に制作した作品。
西洋の水差しの形を取り入れています。
一方こちらは浜田の友人、イギリスの陶芸家バーナードリーチの染付。
リ-チは日本で焼き物を学び、帰国後はイギリスの近代陶芸に大きな影響を与えました。
濱田とバーナード。二人が切り開いた未知への焼き物の世界を展望します。
濱田とリーチが出会ったのは1918年。
濱田24歳、リーチ31歳の頃。
陶芸に対する情熱で引き寄せられた2人。
2年後。リーチが帰国する際濱田も同行します。
イギリス製南端の小さな港町・セントアイブスに工房を構えました。
泥状の化粧土・スリップで装飾したイギリスの工芸品などに触発され制作に没頭します。
濱田が滞在中に作った壺。
黄色からアメ色に変化する素朴な風合い。
イギリスで古くから使われていたガレナユという釉薬を使っています。
3年間の滞在の後、濱田はロンドンのギャラリーで陶芸家として初めての個展を開き成功を収めます。
これがイギリス人が陶芸という芸術の魅力に気づくきっかけの一つになったと言います。
「濱田とリーチがイギリスに行った当時の状況というのは、イギリスでは器を作る者をひとくくりに職人っていう言い方をしていた時代でした。ファイヤーアートはそのヒエラルキーの頂点に立って陶芸がその下というような扱いだったんですけれども、濱田たちがイギリスでリーチ工房を作ることによって陶芸が美術と対等に対処できるような美しさを持ってるって言う事をイギリスの方も気付き始めた」
リーチも精力的な活動を続けました。
すぼんだ口とふくよかな胴体のバランスにはリーチのデザインセンスが光ります。
リーチの真摯な姿勢は若い陶芸家たちに刺激を与えました。
ルーシーリーはその一人。
デザイン化されたフォルムと鮮やかな色使いで独自の表現を極めます。
濱田は29歳で帰国。
やがて益子で本格的な作陶を始めます。
柄杓で釉薬をかけた線。
濱田が好んだ流し書きの技法です。
濱田の元には陶芸家を目指す若者たちが集うようになりました。
浜田の直弟子となった島岡達三。
浜田が完成させた塩でガラス質の膜を作る塩薬の技法を応用しています。
イギリスで始まった浜田とリーチの試みは日英両国の作家たちに今も受け継がれています。
この展覧会は栃木県の益子陶芸美術館で11月8日まで。
会場:益子陶芸美術館
会期:2020年6月28日~11月8日
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