若き狩野永徳が描いた『洛中洛外図屏風』は、天空から見た京の都が丁寧に描かれた屏風絵。現代で言うデジタル地図サービスのような作品です。目に飛び込んでくるのは、黄金の雲間から見える山や河、人々が活き活きしている姿、移ろいゆく四季に行事…一体何のために描いたのか?ひょんなことから渡辺いっけいが屏風の中へ!?天才絵師が描いた京都の世界を動き回って、見たものとは?
新美の巨人たち 天才絵師・狩野永徳の傑作!『洛中洛外図屏風』
放送:2020年11月7日
宇宙から地球を見る神の目のように
大地を見る鳥のようにの人が暮らす街を見る
21世紀に登場した航空画像などを使った
デジタル地図サービス
京都の街ですでもあったのです
遠い昔にも同じ発想のものが
黄金の雲間から見えるのは山や川
そして街のランドマークストリート
ビューだってこの通り
人々の姿が生き生きと高いところから
自分たちの街を一望したいとの願望が
じゅーろく世紀の京都で
達成されていたので
洛外図屏風の中で描いたのは
にーさん歳の若者天才狩野永徳生き様
活況形にならないものも
えーと回運んだんじゃないかアナログ
その右手の方に
昇給の星が観せなやってくる
行列が流れているんですけれども
星だけではありまここにはにせん
人を超えるあらゆる階層の人々が
どこにこの屏風の最大の魅力と
意図が込められているのです
ではアートトラベラーに登場してもらいましょう
この方が本日は
ちょっと奇妙な黄色い男が
地図屏風の世界にドロップしちゃったので
いったい誰なんでしょう
果たしてこの屏風はどこから描かれたのか
地上ひゃくMのたかみまさか本当です
上野の東京国立博物館で
開かれている特別展です
行ってきたのは俳優の渡辺いっけいさん
子供の頃から霊
が大好きで少年時代は
漫画家を目指したこともあったそうです
良武会ですよね
あの結構書き込んでるやつでしょ
ちゃんと見たことないので
もちろん生で拝見いたします
桃山文化の粋を一堂に集めた展覧会ろく
じゅーろく古い時代の安値
絢爛たる都の香りが漂う
その中にこれですよ
ねもう黄金色って言うんですか
輝いてますよね
細い細いの今日の作品
じゅってんよん
CM横さんびゃくろくじゅーごてんにCMの曲
一双の屏風絵です
雨滴はおおよそ京都の東側五重塔で
名高い通しが右下に見えます
こちらは清水の舞台で有名な
清水寺群青で描かれているのは鴨川の流れです
この下の大きな建物は
天皇につない代理で
儀式を執り行う紫宸殿や
清涼殿が描かれています
一方サ責はおおよそ京都の西側
洛外の嵐山を流れる桂川には
と高尾の山々やや左下には
花御所と呼ばれた
足利将軍家の邸宅が描かれています
京都mapですね
まさに凝縮されてますよね
わかりやすく模様のように
洋式びってきな感じのものって
いう印象だったのがちゃんと最後まで見ると
いろんなストーリーが
本当にぎっしり詰まってるんで
飽きないですね
思い入れの強さも感じるし
塗り方がすごい国内スコア
特に金色のその部分とか
鮮やかふんだんに使ってる感じしますよね
きっと金に糸目
つけない書き方をしてるんでしょうね
これねその帰り道のことだ
洛中洛外図屏風はどうして描かれたのか
何のために描かれ
たのかなどと考えていたら出会ったのです
見たことあるけど
思い出せない黄色い人と大丈夫ですか
家働きづめで疲れちゃって
お仕事は何でしたっけて
くーまんのようなもの
サービス画面の右下にいる人形アイコンです
地図の見たい場所に落としてもらって
ドラッグ&ドロップでストリート
ビューに切り替えるのが仕事なんですが
ちょっと変わってもらいます
そして私は落ちたのだ
とんでもないところへだ
なんだかめっちゃ寒雄神
国宝洛中洛外図屏風は何のために
どうやって描かれたのでしょうか
日本美術史上最強の御用絵師集団
狩野派のよん代目天才と呼ばれた男の手で
狩野永徳の唐獅子図屏風です
黄金の輝きを放つ圧巻の大画面
悠然とあゆむに頭の唐獅子の荘厳な生命力
パワフルで豪華絢爛たる作成は
時の権力者たちの心をつかみ桃山
文化の日の体現者として君臨したのです
そのえーと区がにじゅーさん
歳の時に描いたのが今日の作品
洛中洛外図屏風です
屏風の全面に描かれている金色の蜘蛛は
源氏雲と呼ばれる大和絵の技法
この雲を使い距離的な空間を省略し
主要な建物や代表的な川や山々を
コンパクトに収めているので
それだけではありません
清水の舞台から飛び降りるつもりもないのに
大昔の京都で清水の舞台に立っている僕です
何やら音が聞こえる祭り囃子だ
ではドラッグ&ドロップすることは
祇園祭かとう的には京都の夏の風物詩
祇園祭の様子が克明に描かれて
いるのですが
お神輿が渡っているということを夏休みを撮ろう
久しぶりの京都だ
金閣寺でも行ってみるか
金閣寺は打席に描かれています
なんだかめっちゃ寒い
ゆきゆきこっちがどういうことですか
まずは学習京都の真ん中の部分
洛外京都の郊外の部分そこに
一年の間の季節と
その季節ごとに行われているいろんな行事
人々の季節に応じた暮らしぶり
それが開かれている的には
佐々木には秋と冬
京都の四季の情景が映し出されているのです
右隻に描かれた天皇の代理では
数学が行われ
お正月の宴がこちらでは
屋根に菖蒲の葉
をのせてだんごの節句を祝っています
狩野川川遊び楽しそうです
顆粒の方では
有料が佐々木では
おなじみの秋の風情を満喫できます
嵐山が紅葉のシーズン
田んぼでは稲刈りが初雪でしょうか
高尾の山々に雪が降っています
洛中洛外図
屏風を初めて描いたのは
狩野永徳ではありません
室町時代に生まれ
一つのジャンルのようなものです
その最高傑作が狩野永徳の作品では
京の都を高いところから見下ろすという発想は
どうやって生まれたのでしょうか
鍵を握るお寺があります
こちらですかはいそちらのお寺です
かってこの境内に
途方もない高さのなな重の塔があった
と伝えられていますと
相国寺の東に枚以上に高い
じゅーMもあったと言われていますけれども
おそらくそこ
から見た景色を
これこそが自分の納めたが
京都であると
義満が行かせていたとしてもおかしくはない
という風に思いますが
それを元にして
トイレが新しく発明されたんじゃないかなと
勝手なな重の塔があったと思われる付近から
ひゃくメートルほどの
高さまで上がってみましょう
確かに京都市内が一望できますが
本当にここからの眺望なのでしょうか
緻密に分析してみると
驚くべきことが分かったのです
このうさぎと佐々木陽子
どこで分けたかと言うと
んかつ線を引いてね
ちょうどこの相国寺の東側にあった頭が
その分割
線上に乗ってきます
どこでこの頭から見たと仮定すると
絵に描かれたそれぞれのランドマークの配置が
地図上の場所とぴったり一致するのです
この三つは地形図上でどうなったと思われる
一度も住んでみると
家に音に直線上に並んでくるん
ですけども増えすぎ
本の中でこの妙心寺と
双ヶ丘と天龍寺を探してみると
ちょうど地形図と同じように
一直線に変換できます
まこういったところから
この頭の上から見た
景色をもとにして描いたのではないか
という仮説には
合理性があるんではないかと考えます
では
この屏風は誰が作られたのか
一休さん人の家ですっかりくつろいじゃってる
エロい男をやって
わかったことは疲れるということです
だっていろんな個人情報が
耳に飛び込んでくるんですよ
聞こえてくるんです
必要な叫びが
この京都のどこからか助けてくれと
その声の主はこの人です
ご用意しです
注文がなければでは
誰がこの屏風を描かせたのか
注文主がこの屋敷にいます
幕府の権威は
有力な大名の支えがなければ
維持できないほどの
危機にさらされていました
将軍足利義輝はある大名に助けを求めて
妹の上杉謙信です
謙信の上洛に幕府の命運を賭けていたのです
歯の検診に送るため
狩野永徳に描かせたのが
洛中洛外図屏風だと言われてい
ますアマノ御所野
右手の方には
上級の星が見えない
あってくる行列が描かれているんですけれど
もなこの行列の梅しば
おそらく上杉謙信であろう
というふうに考えています
集まり上杉謙信が慣例に就任して
自分をあの助けに来て挨拶にしてくれるは
そういう光景を迷ってる
はおそらく望んでいて
メッセージとしてこの世隠したんではないか
ところが実際の花場所は
戦火により消失しており
義輝の時代には存在していないのです
つまり現実の世界ではなくて迷ってるが
見たかった世界はそれを表したものだ
というふうに考えられていますでそれ
を現実に前として開くために
えーと日ですね
室町幕府がまた華やかだった頃
花腰が健在だった
時期の音の上から見たい
というものを元にしてよくの屏風
作ったんではないが
義輝は屏風の完成前永禄の変により
非業の死を遂げてしまいました
絵を見ることなく花の
都の屏風には
悲劇の将軍の届かなかった
願いが込められていたのです
では狩野永徳が
弟子として描こうとしたものは
何だったのでしょうか
池さんお茶してる俺のも頂戴したのが
なんと楽中の求人誌であります
いろんな仕事があるぞんのか
わらじ作り紙すきの仕事も
ある米屋さんもあるし
染物屋さんも忙しそうだな
えーと代がいたのは
京都で暮らす人々の姿です
クリア付通から
農民や町人とあらゆる階層
あらゆる職業の人々を描いています
歓声を上げて遊ぶ
子供たちの無邪気で無垢な姿
その数はおよそにせんごひゃく人
京都の全ての人達を
描かんばかりの勢いで
喜びと活気があってこその花の都であると
餅をついてるし向こうでは門松の準備だ
もう師走なんだね
もうこっちで暮らそうかななどと考えていたら
いや私はまた落ちた
同好会えーと9月
洛中洛外図屏風を完成させたのは
義輝の死からつーヶ月後
のことそしてこの絵は
数奇な運命をたどるのです
れた洛中洛外図屏風は運命を辿りました
京都の新たな支配者となった織田信長が
手に入れたにも関わらず
喜輝に変わって
上杉謙信に送ったと言われています
友好の証としてでは
この伝説の病気も本当のつぼみとは何でしょう
えーと区はその義輝があるべき姿だけじゃ
なくて町の表現として京都の活況とか
そういうようなものも望んでいる
それに答えるような
絵の描きかたをして
行ったとしての街じゃなくって
そこに人々が生きてるという生き様
活況形にならないものも
えーと回じゃないかという風に思います
街自体が生きていると
いうことを感じさせる
それの洛中洛外図の面白いところ
戻ったお帰りなさい
ただいま洛中洛外図屏風の旅はいかがでしたか
俺止めて力をもらえます
なんか生きていく
狩野永徳のすごく勢いのある時の絵で
書くのが楽しくて仕方がないみたいなものまで
ご日間てな気がして人に
何かを見せる仕事なので
そういうエネルギーを持って
仕事をしなきゃなって改めて思いました
あのねあのへこたれてる場合じゃないなと
こういう状況に
現在東京国立博物館で開催中の特別展では
岩佐又兵衛が描いた国宝の洛中
洛外図屏風が展示されています
てん空から街を一望
したいとの願望は
16世紀の京の都で達成されていたのです
移ろいゆく色を愛し
よく働きよく遊び
諍いも争いもない黄金の理想郷として
今日の京都の歩き方
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