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響くアートの愛好家

新美の巨人たち 秋野不矩『ガンガー』

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秋野不矩が91歳で描いた『ガンガー』は、インド北部を流れる黄金色のガンガー=ガンジス河を水牛が渡る、壮大な一場面を描いた作品。

不矩はこの絵を描くまでにインドを14回も訪問。

しかも6人の子どもを残し一人の画家として灼熱の大地に降り立ったのです。

画家はインドに何を見たのか?

何に魅せられたのか?

今回は奥貫薫さんが潔くも清々しい秋野不矩の世界へ。

さらに「秋野不矩美術館」完成までのエピソードもご紹介します。

 

秋野不矩創造の小径

秋野不矩創造の小径

  • 作者:秋野 不矩
  • 発売日: 2008/07/25
  • メディア: 大型本
 
秋野不矩 インド

秋野不矩 インド

 

 

美の巨人たち 秋野不矩『ガンガー』

放送:2020年11月28日

 

晴れやかなこの美術館には波乱に富んだ画家の人生が記憶されています。

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確信に満ちた力強い構図と色彩。

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日本画家、秋野不矩

24歳で結婚し、6人の子供に恵まれ、一生懸命育て上げました。

離婚したのは50歳の時。

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すると、えいっとばかりに旅立ったのです。

灼熱と混沌、豊穣の大地インドへ。

その時。

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「ここがいい。ここだと思った」

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生きた、愛した、描いた。シリーズ、おんなの生き様。

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鮮烈で強靭な画面です。

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黄金色のガンジスを黒い群れが渡っていく。

一歩ずつ一歩ずつ。

決して諦めることのない力強さ。

「どこか空で、どこか水なのかもわからない」

画家はインドに何を見たのか。

インドの何に魅せられたのか。

本日は女優、奥貫薫さんが潔くも清々しい秋野不矩の世界を旅します。

口癖は。

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「私がインドで死んでも探さないでちょうだい」


 

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とうとうと流れ、遠州灘へと注ぐ天竜川が画家の故郷です。

1908年秋野不矩静岡県二俣の貧しい神主の家に生まれました。

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山の上に住んでいたので町の子供達は遊びに来ません。

色鉛筆がお友達。

茶摘みで稼いだわずかなお金で母が買ってくれました。

上野東京美術学校に通いたいと願いましたが当時は男子校。

とはいえ私立の女子美術学校へ通うお金はありません。

仕方なく小学校の教師になりました。

でもやんちゃな一年生はなかなか言うことを聞かず、毎日毎日泣かされてばかり。

不憫に思った両親の勧めで教師は一年で辞めることに。

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21歳の時、知人の紹介で京都の画塾に入ることができました。

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そして同じ画塾の沢宏靭と24歳で結婚したのです。

そこから始まる苛烈で一途な人生。

 

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静岡県西部を走る天竜浜名湖鉄道

一両編成のディーゼルカーに乗って不矩さんに会いに行きます。

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「54歳の時インドに渡られたって言ってた。私ももうすぐ50代に入るので、とても気になる存在だったのね」

天竜二俣駅で下車します。

画家のふるさとの駅。

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15分ほど歩くと小さな丘の麓に。

緩やかな坂を上っていくと見えてきました。

「素敵な建築ですね。なんか美術館というよりロッジのような」

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晴れやかで爽やかな浜松市秋野不矩美術館。

「木のいい香りがする。ここは靴も脱ぐんですね」

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なぜ靴を脱ぐのかその意外な理由は後ほど。

「足の裏が気持ちいいですね」

この美術館には懸命に生きた画家の人生の全てが詰まっています。

「まあここはまた明るい展示室。そしてこれがガンガー。ガンジス川

今日の一枚、秋野不矩《ガンガー》

縦119センチ。横234センチ和紙に岩絵の具で描かれた日本画です。

ガンガーとはヒンディ語ガンジス川のこと。

滔々と流れる大河を10頭の水牛が渡って行きます。

ただ前へ前へと、油絵のような重厚さをたたえ、91歳、秋野不矩が見つめたインド。

ガンジスの黄金色の濁流に岸辺はありません。

背後には黒い雨雲が怪しく迫ってきます。

このひたむきな命はどこに向かうのか。

「実際のガンジス川ってきっともっと濁ってるような気がするんです。でも私は輝きを感じます」

この絵から。この色から。

インドを訪れること14回。

矩服はインドの何に魅せられたのか。

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秋野不矩、20代の作品です。

日本画らしい優しい筆使いと柔らかな色彩。

天竜川の河原の乾いた砂と夏の日差しのコントラストが、たくましくも瑞々しく。

あらゆる赤を試した一枚です。

不矩は天性のカラリスト。

その類まれなる感性は。

24歳で結婚した画家同士の暮らしはそのまま子育ての記録。

こんなこともありました。

三男が産まれる直前、展覧会に出品する絵を描いてあと3日で完成というところで陣痛。

赤ちゃんは3日待ってくれたそうです。

五男一女に恵まれた不矩は、家事と子育てに追われながらも筆を置くことはありませんでした。

この絵のモデルは不矩が36歳の時に生まれた末っ子の仁さんです。

「僕が5、6歳の頃かな。母が画室にいるにいるんで、ちょっと脱いでモデルになってくれないか。うんいいよと。その頃は家事とか育児とかが大変で、絵になる素材が近くにしかなかったもんですから、それで選ばれた」

不矩の絵に少しずつ変化が。

新しい表現を切り開こうとする強烈な色彩。

研ぎ澄まされていく構図。

日本画の限界を超えて、本当に描きたいものを見つけるため。

一方、画家同士の結婚生活は次第に軋み始めました。

最初は背中合わせで描いていたものの、どうしてもお互いの絵に口を出したくなってしまう。

二人の距離は物理的にも精神的にも離れていたのです。

やがて不矩は夫の外出を見計らって隠れて描くようになります。

不矩は五十歳で離婚を決意しました。

その思いについて。

「そこで筆を置かれるといいのになあと思うけど、時間がたっぷりあるので描きすぎてしまう」

「そのぶん家事とか育児とかに回ればいいのに離婚なんかしなかった」

運命の出会いが訪れたのは54歳の時。

不矩は京都市美術大学助教授となっていました。

ある日美術史の先生が研究室を訪ねてきてこう言ったのです。

日本画の先生でインドの大学行ってくださる方はありませんか。

私行きます。気がついたら手をあげていました。

英語もヒンディー語もできないのに。

「母が本当に行きたいと思っている気持ちが伝わったのですから、行ってもいいよって」

1962年夏。妻でもなく母でもなく、一人の画家として灼熱の大地に降り立ちました。

インド西ベンガル州、シャンチニケータン。

平和な村を意味するこの場所にインドの詩聖、タゴールが創設したビスバーバラティ大学があります。

不矩はここで一年間、日本画を教えました。

でも言葉が分からないのでせめてもとサリーを着て学生たちと一緒に描くだけ。

「最後にはわかるって。彼等は皆不矩さんのことマアマアって。インド語でお母さんのこというらしいのですが、そんなふうにして慕ってくれたって言ってました」

不矩の感性をスパイスのように刺激していきます。

裸足で歩く人々。

街中で自由に暮らす牛や野良犬たち。

「ああ、ここがいい。ここだと思ったの」

帰国後、不矩は堰を切ったように描きます。

インドの記憶を。

インドで見つめた日々を。

そして何度も何度もインドを訪ねては描き続けました。

 

私は日頃思う、

頭で考えるより

体で行う中で識ろう、

インド人がはだしで

土を踏むような心で

絵をかこう

雨が降れば濡れて当たり前、

海洋の人々が

波濤を頭からかぶって

平気なような気持ちで

凡てを享受して

おそれない心で絵をかきたい。

祈りながら

秋野不矩、祈りの形。

その頃子供たちにしきりに呟いた口癖。

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「もし私がのたれ死んでもさがしに来ないでね。本望なんだから」

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あるとき不矩はインドで印象的な光景に出会います。

そしてあの絵が生まれました。

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牛たちはどこに向かうのか

秋野不矩のゆるぎない想いが。


 

溺れるまいと川を渡る牛たちを秋野不矩は何度も描きました。

渡河は氾濫したクリシュナ川の濁流を金箔の上から岩絵の具を塗って輝くように描いています。

今日の一枚。

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ガンジス川を描いたガンガーは。

「どこが空手どこか水なのかも分からない。境界がない世界を描いてるの気もします」

空も水も一体となった一年の黄土色。

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不矩は大地から生まれる黄土という岩絵具が大好きでした

ガンガーは土の色をしている。

岸部で人を焼いて水浴びをし、洗濯もする。

綺麗だとか汚いだとか超越した世界です。

自然の摂理の中で敬虔な気持ちになる。

そういう姿に共感を覚えるのです。

ガンガーには岸がありません。

なぜに描かなかったのでしょう

不矩がインドで聞いたバウルと呼ばれる吟遊詩人はこう唄っています。

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私は川の流れに漂っていること久しい。

右の岸に上がろうとしても上がれない。

左の岸によっても上がることができない。

ああ、この上はただ神の思し召しに

任せるより他はない。

流れに身をまかせ、大河を行く水牛たち。

それは不矩の化身なのかもしれません。

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浜松市秋野不矩美術館は実におおらかで伸びやかな奇妙な姿をしています。

いったいどうやって生まれたのでしょう

設計者は宙に浮かぶ空飛ぶ泥舟や世界一危険な茶室、高過庵など自然素材を使ったユニークな建築で知られる藤森照信さんです。

彼のデビュー作《神長官守矢史料館》を見て気に入った不矩本人からの依頼でした。

藤森さんが最初に提案したのはダムのように谷間に美術館を置くというプラン。

「私はダム案をすごく気に入っていた。だから現実にそこに行くわけですよ。そうすると谷底だから杉の木がひょろひょろ生えてるわけで、ヤブ蚊がブンブン飛んでるようなところ。不矩さんはそれは嫌だと」

そしてドキッとする言葉を漏らしたのです。

私はこんなところに埋められたくない。

「本当に驚きました。絵描きにとって自分の美術館を作るってことは、生涯をそこに埋めるって事なんだ」

画家の魂を埋める場所はこんな風に変わりました。

1998年秋野不矩美術館は日当たりの良い丘の上に完成したのです。

鉄筋コンクリートの上に藁入りのモルタルを塗った、どこかインドが臭う外観。

一番の特徴は靴を脱いで上がること。

建築家のこだわりです。

「靴を脱ぐことで気持ちが改まる。日常とは違う空間に入るって形に美術館としてなる」

入口は天竜杉の板。

第一展示室は籐のござ。

第二展示室は大理石です。

ストッキングが引っかからないようツルツルに磨きました。

藤森さんが最も力を入れたのがこの空間。

「渡河っていう、牛が渡ってくる。あれを中心に使用と思った。壁の面積の1/3ぐらい。不矩さんはああそうですかといって、後で聞いたんだけど、その日のうちに壁の大きさに合う新しい絵を描き始めた。その画面に合う大きさ」

不矩にはずっと温めていたものがあったのです。

全長7メートルにおよぶ超大作《オリッサの寺院》

三つの寺院をひとつの画面に。

魂を埋める美術館のために。

そしてアフリカへ。

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秋野不矩の本名はひらがなで

画号の不矩は24歳の時に自分でつけました。

矩は決まり事や物差しという意味です。

矩にあらずという名前の通り、伝統にとらわれることなく自由で新しい日本画を描き続けてきた不矩は1999年文化勲章を受章しました。

その受賞スピーチで。

「大した仕事もしていませんから、これから頑張ろうと思います」

92歳になった彼女は新天地へ。

なんとアフリカ。

トンブクトゥという砂漠でアリさんというすごく格好いいトゥアレグ族のガイドが現れて、お母さんそれまでずっと車椅子でぼーっと眺めてるような状態だったのに、アリさんが迎えに来てくださったらさっと立ち上がって二人でずっといってしまうから帰ってくるか心配した」

ガイドのアリさんにエスコートされサハラ砂漠を歩いたのです。

92歳。秋野不矩イケメンだいすき。

 

絵を描くために生きるかとか

生きるために書くのか

というような言葉を弄するするが

私は描くことが生きることだと思っている

作品は生きる告白である

 

「私も川の流れの中を漂って生きてる中で、不矩さんにとってのインドのようなものとこの先で会えたらいいなって思いました」

本当に描きたいものに出会えた幸せな画家です。

運命の地。インドに。

生きた愛した描いた。

秋野不矩、ガンガー。

祈りの大河。

生きる告白。

 

 

 

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