小さな魚が繰り広げる冒険物語を描いた、レオ・レオーニ作の大ベストセラー絵本『スイミー』。
教科書に掲載されるなど日本でも広く知られる人気作品です。
シンプルで美しい色使いが目を引く絵ですが、よく見ると独特の質感…そこには人気広告デザイナーだったレオーニらしい試みが。
さらに作品に込められていたレオーニの真のメッセージとは?女優・声優として活躍する戸田恵子さんの朗読と共に『スイミー』の世界をご堪能下さい!
新美の巨人たち レオ・レオーニ『スイミー』
放送:2020年12月19日
いつどこで聞いたのか。
曖昧なのになぜか心に残っている物語はありませんか。
たとえば小さな魚の冒険。
学芸会ですね。
赤と黒の衣装に身を包んで子供達が一生懸命演じているのは。
世界的ベストセラー絵本、スイミーの物語。
小学校の教科書にも載っているお話です。
初めて登場したのは40年以上も前ですから授業で知った方も多いんじゃないですか。
子供向けと侮るなかれ。
その絵がすごいんです。
ほらどうですアートでしょう。
かなり斬新な描きかた。
それもそのはず、作者はかつてアメリカで活躍した凄腕デザイナーなんです。
今夜は戸田恵子さんとともにこの芸術的絵本の魅力に迫ります。
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まずは戸田さんの朗読を交えながらその物語。
ある日、スイミーが仲間たちと遊んでいると・・・。
恐ろしいマグロがお腹空かせてすごい速さでミサイルみたいに突っ込んできた。
一口でマグロは小さな赤い魚たちを一匹残らず飲み込んだ。
逃げたのはスイミーだけ。
ひとりぼっちになったスイミーは海をさまよいます。
怖かった。寂しかった。とても悲しかった。
けれど海には素晴らしいものがいっぱいあった。
スイミーは美しい世界でたくさんのものを見て元気が湧いてきました。
すると小さな仲間が岩場で固まっている所に出会います。
大きなおさかなから隠れるためです。
だけどいつまでもそこにじっとしてるわけにはいかないよ。
なんとか考えなくちゃ。
スイミーは仲間を奮い立たせ、みんなで集まり大きな塊になります。
みんなが一匹の大きな魚みたいに泳げるようになった時。
スイミーは言った。
僕が目になろう。
力を合わせた小さな魚たちは見事大きな魚を追い払います。
実に感動的で分かりやすいですよね。
このスイミーの物語は様々な教育の場で子供たちに語られてきました。
「絵本の世界を楽しみながら協力し合うことの大切さ。その意味を伝えていけたらなと思っています」
ところがレオーニはもう一つあっと驚くメッセージを物語に込めていたのです。
名作絵本の見方がガラリと変わる。
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「記憶はうっすらあって、実際絵本を読み始め読んだこと忘れてただけだなと思って。本当に子供だけじゃなくて大人ももちろん考えさせられる。すごいいろいろなものが詰まってるって」
板橋区立美術館では今、レオ・レオーニの展覧会が開催されています。
こちらは世界に5枚しかないというスイミーの貴重な原画です。
生前のレオーニと親交があり絵本に造詣の深い松岡さんに案内してもらうことに。
「こちらに5点飾られているんですけれども。スイミーが海の中を泳ぎまわって自分の生きてる世界の素晴らしさを見つけていくっていうシーンなんですね」
「レオ・レオーニの中でこのスイミーってのはどういった位置づけになってるんでしょうか」
「子供達に向かってしっかりとしたメッセージを持った、読者を意識した本を作ることができたと言っていて、これでようやくレオーニさんの絵本の道というのがしっかり定まったようなとても重要な作品になってます」
スイミーという名作を作り上げたレオ・レオーニとは一体どんな人物なのでしょう。
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第二次世界大戦後のニューヨーク。
繁栄に涌くこの町でレオーニは大活躍していました。
個人のスタジオを構えるほどの売れっ子広告デザイナー。
お客はニューヨーク近代美術館に国際機関ユネスコ。
さらにフォーチュンやライフなど有名雑誌のアートディレクターを務め、デザイナーとしてトップキャリアの仕事をこなしていました。
そんなレオーニが初めて絵本を手がけたのは49歳の時です。
あおくんときいろちゃん。
丸くちぎったような青と黄色が主人公で、二人が重なって緑になってしまうと言う作品。
色の性質を熟知した広告デザイナーらしい作品です。
その誕生は全くの偶然でした。
電車の中で退屈する孫達。
困り果てたレオーニは持っていた雑誌の構成刷りをちぎりお話を即興で聞かせます。
子供達は夢中に。
その話を聞きつけた友人の編集者の勧めで出版が決まったのですが、初めての絵本にレオーニは不安を抱えていました。
「これが子どもの本の世界で初めてすべてのお話を抽象形で表した作品です。うさぎちゃんとかねずみちゃんとか、具体的なものはひとつも出てこないんです」
「読む人のスキルを問われるなと思いながら」
「出た時には大人がプレゼントし合うような本じゃないかと、かなり酷評されたそうです。でも実際に子供達はしっかり受け取ってくれて」
それを可能にしたのがレオーニのデザインのスキル。
例えば教室で静かに座っている場面は整然と並び、帰り道では飛び跳ねる。
配置だけで気持ちの変化が変わってきませんか。
絵本の世界に新しい表現が生まれた瞬間でした。
あおくんときいろちゃんの誕生はレオーニにとっても革命でした。
絵本という未知の世界が彼の前に開かれたのです。
多くの手紙をもらい、子どもたちを取り巻く環境にも興味が湧いてきたレオーニは絵本と真剣に向き合うことに。
そして1963年に出版されたのが今日の作品《スイミー》
本格的な物語絵本です。
実はレオーニだからこそ生み出せた独特の美があるんです。
スイミーには多くの色が使われていますが、ちょっとした決まり事があります。
極めて淡い青で水を。
同じような薄い色味で海底を。
生き物には鮮やかな色が使われています。
そして主人公のスイミーだけが真っ黒。
おかげで小さくともちゃんと目立っています。
さらに赤い魚に注目してみると。
楽しそうに遊ぶ様子と、岩場にひっそりと身を寄せる様子とでは並び方が違います。
子供でも一目で状況や感情を読み取れるよう描いているのです。
そしてカイミーはどのページでも決して左を向いていません。
右側。つまり次のページへ意識を向けさせ、ワクワク感を盛り上げているのです。
色の使い分けや配置。
そして視線誘導。
細かな工夫がスイミーをシンプルで分かりやすくしているのです。
「これ千代紙使っている。手に入ったんだね。かわいい」
レオ・レオーニは生涯で37冊もの絵本を手掛けました。
しかも一冊一冊異なる技法に挑戦しているんです。
代表作の一つ。
ネズミが主人公のフレデリックでは質感の異なる紙を貼り合わせてコラージュしています。
ではスイミーに使われた独特の技法とは。
幼児向け絵本の定番《くっついた》を生み出した絵本作家の三浦太郎さんによると。
「間接的に絵を仕上げていくってことをすごく感覚的にやっている。魚自体も紙を切ってそれに絵の具をつけて貼ってあったりとか。水の下にある岩とか石とかそういうものも結構規則的に描いてますね。さつさっさっさっと描くだけ。すごくデザイナーさん目線だなと思う」
ではスイミーの独特の質感はどうやって作り出されているのでしょうか。
ガラスの板に絵の具を塗り、その上に紙を乗せると。
ガラス板から外す際に張力で美しい模様が現れます。
同じ模様は二度と現れない偶然性を活かした版画技法。
回想のシーンも恐らくこのようなレース模様の紙に絵の具を塗り、それを画面に押し付けているのです。
赤い魚たちもよく見ると同じ形。
しかも縁取りだけ。
「手数を多くすればするほど画面が重たくなるんで、絵が暑苦しくなっちゃう。その軽くするためにハンコを使ってると思う」
様々な技法を使いながら決して饒舌にならず美しくてシンプルでわかりやすい。
スイミーでレオーニは、その唯一無二の美の世界を作り上げました。
レオーニが近所の子供達にスイミーの話をする貴重な映像が残されています。
最後にレオーニは子供たちにこう問いかけました。
スイミーがレオーニに似ている。
一体どういうことなのでしょう。
実はレオーニの人生とスイミーのストーリーを重ね合わせたとき見えてくるのです。
この世界的絵本の見方がガラリと変わる。真のメッセージが。
「誰も知らないレオレオーニ展」を訪れた戸田恵子さん。
何かに気付いたようですよ。
「なんか絵本で見るレオ・レオーニの感じじゃないですよね。確かにちょっと奇妙な植物の絵。そのブロンズ像もあります
こちらには何か物騒な感じの絵も。
とても絵本作家とは思えない作品が並んでいるのです。
レオ・レオーニとは一体何者。
レオーニの晩年の映像が残されています。
彼の生活は自身が生み出した作品やお気に入りの芸術品に溢れていました。
絵や彫刻そして音楽も愛するマルチアーティスト。
それがレオ・レオーニという男なのです。
1910年レオーニはオランダ、アムステルダムでユダヤ系の家庭に生まれます。
母はオペラ歌手。おじは建築家。
芸術に囲まれた環境でした。
「お父様がユダヤ系の方だったこともあって、ヨーロッパアメリカの中を子供の頃からずいぶん転々としてるんですね。高校時代にイタリアに行ってきて」
イタリアジェノバで21歳の時結婚。
二人の息子を設け25歳でミラノで夢だったクリエイターとして歩み始めます。
実はその後の人生とスイミーのストーリーを重ね合わせるとこの絵本の隠れたメッセージが見えてくるのです。
イタリアではムッソリーニのもとファシズムの思想が拡大し、ユダヤへの弾圧が強まります。
恐ろしいマグロがお腹空かせてすごい速さでミサイルみたいに突っ込んできた。
一口でマグロは小さな赤い魚たちを一匹残らず飲み込んだ。
スイミーは泳いだ。暗い海の底を。怖かった。寂しかった。とても悲しかった。けれど海には素晴らしいものがいっぱいあった。
家族を呼び寄せ多くの出会いを果たし、デザイナーとして活躍します。
そのレオーニがが描いていた意外な絵が近年発見されました。
タイトルは《人種問題》
白い肌をした人々の厳しい視線が連なる先には黒人の男女。
「ご自身がユダヤ系だったこともありまして、人種問題ということではなくて、社会に対してきちっと発言していこうと言うか、それがやっぱりアーティストの役割だっていうことも言ってましたので」
自らも流浪の民として抑圧されて生きてきたレオーニ。
差別を黙認する社会への深い憤りがあったのでしょう。
1958年。ブリュッセル万国博覧会で、ライフのパビリオンのアートディレクターとして参加した時のこと。
望まれる未来と題した展示に様々な人種の子供達が手をつなぐ写真を使用します。
それが保守的な人々からの反発を買い、パヴィリオンは閉鎖に追い込まれてしまったのです。
世論と顧客に合わせなければならないデザイナーという現状にレオーニは苛立ちます。
だけどいつまでもそこにじっとしてるわけにはいかないよ。なんとか考えなくちゃ。
そこでアーティストとして社会にきちんと発信するために選んだのが絵本だったのです。
レオーニはデザイナーを止めイタリアへと戻ります。
絵を描き彫刻を作りながら一年に一冊のペースで絵本を作り始めました。
それは自分独自の芸術を未来ある子供達に伝える手段でもありました。
レオーニ自身はこう語っています。
スイミーには私の芸術の原則が詰まっている。
レオーニが流浪と創作の果てに見出した芸術の原則とは一体何なのでしょう。
みんなが一匹の大きな魚みたいに泳げるようになった時
スイミーは言った。
僕が目になろう。
僕が目になろう。さこにすべての答えが。
世界的ベストセラー。
物語の最後。
スイミーは僕が目になろうと申し出ます。
実はこの瞬間こそが最も重要なメッセージ。
目になったからといってスイミーが偉くなったわけではありません。
ただそれが芸術家としての彼の役割なのです。
レオーニは伝えたかったのです。
人には平等に個性や果たすべき役割があり、他の人には見えないものを見ることこそが、スイミー。つまり芸術家の役目なのだと。
「本当に窮地に追い込まれた時に一番最後になるのがやっぱり芸術だったりするのが非常に歯がゆいと言うか、そういったものの中にちゃんと訴えるものがあって、こういうことができるんだぞって事言ってくれてるってのはすごい力になると思うし勇気みたいなものを感じました。ちょっとそのスイミーを知り合いの子供に読む気満々になってるわけ」
自らの役割を考え続けた男のひとつの答えがそこにあります。
その知恵と勇気は子供たちの未来に寄り添うのです。
芸術の可能性を信じた希望の絵本。
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