チャンスはピンチだ。

響くアートの愛好家

新美の巨人たち 犬吠埼灯台

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/t/tanazashi/20200405/20200405152158.jpg



 

 

 

 

初めて灯った日から146年。千葉県銚子市の岬の先端で太平洋を照らし続ける、美しき白亜の塔『犬吠埼灯台』は高さ31.3mの洋式灯台

その光はまさに文明開化の象徴。

英国人技師、リチャード・ブラントンが、その能力を駆使して、日本に近代化の光を灯しました。

その一方で、使用されたレンガには日本人の誇りが…。

さらに灯台のレンズの驚異のメカニズムも明らかに!

****

美術の窓 2021年 1月号

美術の窓 2021年 1月号

  • 発売日: 2020/12/19
  • メディア: 雑誌
 

美の巨人たち 犬吠埼灯台

放送:2021年1月9日

 

f:id:tanazashi:20210110201845p:plain

その全身に孤独をたたえて立ち尽くしています。

義務であり使命であるかのように。

f:id:tanazashi:20210110201856p:plain

目の前に広がる大海原をただ見つめて。

f:id:tanazashi:20210110201836p:plain

孤独ではあるけれどその光は優しく力強く、はるか数十キロ先まで照らしているのです。

f:id:tanazashi:20210110201828p:plain

航路標識。灯台とは実に美しいものです。

「空に向かってピンと立っている」

f:id:tanazashi:20210110201820p:plain

本日はシシドカフカさんの灯台の美を巡る旅。

 

霧笛が鳴り響き

「なかなか見ることのない場所ですね」

作り上げたのはリチャードブラントン。

イギリスからやってきた男。

輝かしく、誇らしげに。

彼が日本に残した灯台は25基。

今も厳粛で壮麗な美しき風景の中に。

 

 

彼の代表作が千葉県銚子市にあります。

地球の丸く見える丘に上ってみれば。

「本当だ。地球は丸く見える」

360度遮るもののない眺望からは屏風ヶ浦の絶景。

利根川の流れ。そして。

「あれですね犬吠埼灯台

太平洋と向き合って。

北緯35度42分28秒。東経145度52分7秒。

この灯台こそ造形の美しさと共に日本における灯台建設史の中でも画期的な存在だったのです。

今日の作品《犬吠埼灯台》。

「真っ白で空に向かってピンと立っているっていう感じがかっこいいですね」

1874年。明治7年竣工。

高さ31.3メートルの洋式灯台です。

建築指揮リチャード・ブラントン。

円筒上の造形の最も太い外径は7.2メートル。

塔は上部に行くに従い徐々に窄まり、やがて踊り場が見えてくるとその上レンズが納まった灯光部。

地上より27メートルの高さに。

表面に施された白亜のモルタルは貴婦人が纏ったドレスのごとく。

空と大地と海が織り成す風景の中にその姿が美しい写真を撮ってみよっかな大学で写真学科に通っていたシシドさん。

犬吠埼灯台と向き合って何か書いてある明治7年11月15日。

誇らしげに掲げられたプレートには初点灯の日が刻まれています。

では中へここは全国でも珍しい登れる灯台です

ご階ぶんぐらいきゅー

じゅーきゅー段の螺旋階段を登りきると

これはいい眺めですね

一応できますね目が太平洋はこの景色。

ちょっと気に入っちゃったのでは日本の灯台誕生の物語を風雲急を告げる幕末。

開国により外国船の往来が頻繁となります。

当時日本にあった和式東大は油やかがり火を焚くのでその光の力は弱く、日本の海はダークシーと呼ばれ、船の航行は困難でした。

幕府はぜろよんヶ国と灯台の整備を約束します。

しかし近代的な灯台建設のノウハウを持たない日本は外国より技術者を招聘。

その求めに応じイギリスからやってきたのがリチャード・ブラントンでした。

リチャード・ヘンリー・ブラントン

1841年スコットランドアバディーン州の生まれ。

鉄道の土木技師を務めていた彼は日本での灯台建設計画を知り応募。

採用されたのです。

春香東洋の島国に自分の灯台によって文明の光大友さんと日本に到着したのは1868年27歳の青年でした。

幕府の事業を引き継い政府と契約を交わし船で日本全国を回り測量を行いともに来日した技術者を意識し日本人に技術を伝えながら灯台建設を進めたのです。

彼が最初に手がけた東大が

静岡県下田市の沖じゅー

いちKMに浮かぶ島に

美の巨人たちはよろこび

がつなぐ世界へ

キリンとオールフォーロングライフ

ヘーベルハウスの提供でお送りします

神子元灯台投稿に

じゅーさんM設置店通り1871年1月1日

激しい潮流と

強い海風の中での

最も困難を極めた建設でした

推定和歌山県の南端

紀伊大島に立つ樫野埼灯台

日本最古の石造り灯台です

性格的にもロトいちっていうか

他から見れば

同僚でも付き合いづらい人間って言うな

面があったように思います

駿河湾遠州灘を隔てる岬にその姿

御前埼灯台遥か後方に富士山を従えた

その風景はいいほどの美しさ

そして御前埼灯台に続いて手掛けたのが

犬吠埼灯台だったのです

ブラントンが重視したものとは

東大の設計にあたって

最も考慮を払うべき点は

この国にはしばしば自信がある

ということであった

犬吠埼灯台が画期的なのは

その構造に秘密があります

目覚めには分からないんですが

二重円筒で犬吠埼灯台の断面図との壁は

堅固な二重構造と

なっています

なんでこれにじゅーにしたか

ということを色々議論の熱がありますが

高さに関係している高さで

何が問題になるかと言うと

地震ですの日本の場合は

もう一つは台風みたいな風

それにどうやって対抗するか

内側と外側の骨があって

それをつなぐはち本

操車場の壁があります

つまりより安全な構造になってるわけです

そのビクともしないけん誤差は

一人の日本人が鍵を握っていたのです

ブラントンと対立してまで

巨大な頭体を支えるのは

何万枚も積み重ねられたレンガです

このレンガを生み出した

神当時の記録に残されてい

ますトップであるブラントンに続いて

日本人の主任技師

中澤たかまさブラントンも中澤義之というのは

非常に濃い有能だと

報告書の中に書いているんですね

今全然違う東大の建設というところで

接触してその中では協調と対立

というようなところがあったようです

日本製の

レンガは強度不足であると

イギリス産の使用を主張するブランドに対し、中澤は国産レンガでの建造を強く進言します。

日本人の手で作ってみせると利根川を遡り岡村で良質な土を見出した中沢はこの家の旧藩士にレンガの製法を伝え、失敗を重ねながらもついに使用に耐えうるレンガを作り上げたのです。

犬吠埼灯台に使用されたで

じゅーきゅーまんさんぜん枚

ろくさんに切り替えたことで

コーヒーは大幅に節約できました

調子の町に市内の絵が残されています

関西直後の犬吠埼灯台建設中

お世話になったお礼にと

中澤自身が描いたとただし犬吠埼灯台

生まれた時から現在の色です

漆喰のコーティングによる補強と風景の中で

際立たせるための城中澤は

あえて漆喰の下のレンガをむき出しに描き

日本人の誇りを示したのかも1874年

明治なな年11月15日初点灯

その日から流れた歳月

ひゃくよんじゅーろく年を数えます

犬吠埼灯台のベストアングルは

どこか見えてきましたねうねる海の向こうに

海面からの高さごじゅーにM白亜の塔の姿

それこそ町あかりもない違いによる

あの灯台に明かりがともってたらで

安心できてたんじゃないかなっていう

想像はありますねと

ヘルメットをかぶってシシドさんが向かったのはなんとおすごい巨大なレンズ。

 

 

 

今日の作品犬吠埼灯台敷地内にもう一つ

貴重な建築物があります

日本に唯一残る鉄製の無敵者mutekiとは

濃霧で灯台が見えなかっ

たり光が遮られた時に

音で一応知らせていた信号のこと

浦島ひろみさんは

かつて犬吠埼灯台灯台守を務めた人です

霧が深い時には無敵さまで走って行って

切り信号を鳴らしていました

トークで聞くと

牛の遠吠えだって言われるんですけれど

ここにいて鳴らした時の爆音

のごとくの音でしたね

是非無敵を聞いてみたい

コンプレッサーにより圧縮された空気をタンクに貯め、それをサイレンに送ることで音を出す仕組み口をしてます。

シシドさんいよいよ犬吠埼灯台の心臓部ともいえる場所へ。

「なかなか見ることのない場所ですよね。よいしょおすごい金いち年の

直径およそ1.9メートルの巨大なレンズです。

日本に5箇所しか残っていない第一等フレネルレンズレンズの中へと入ればジョジョ邪魔します

今宍戸さんはこの投稿文これライトですか

じゃあ高原に使われる

電球はよんひゃくW小さいように思えますが

レンズによって集合され

光ははるかさん

じゅーろくKM先までおもしろなってんの

釈放のため降ろされていたカーテンが上がり

およそじゅっぷんご回転が始まります

動き出した続いて

転倒中心に置かれた電球を取り囲んだよん

面のレンズが光を集め外へと話します

そのコードひゃくじゅーまんカンデラの銅さん

じゅーろくキロ先まで届くっていうのは

ここで見てる限りでは

ちょっと想像つかないですけど

じゅーご秒に1度閃光を放ちます

光ってね人の心を

ほっとさせるものがあるから

街が近いんだね

りくが近いだなっていう

安心感も一緒に届けてたんでしょうね

はるか36キロ先までも安全と安心を乗せて光を届けた

山口県下関市

日本海を望む島にブラントンが最後に手がけた灯台があります。

角島灯台

踊り場の下には優美な装飾が。

仕事一途のブラントンが最後にちょっとだけ遊び心を加えたのかもしれません。

1876年務めを果たし帰国ブラントンが日本で手がけた灯台

25基そのうちの14基が今も立派に誠実にその使命を果たしています。

日本の灯台の父と呼ばれて。そしてこの人は。

 

犬吠埼灯台重要文化財として登録されることとなりました。

優れた技術と近代の高校の歴史を知る上で欠かすことのできない建築物であると

イギリスノースdevonteブラントンの子孫を訪ねました。

玄孫にあたるフィオナさん。

曽祖父リチャードはスコットランド人気質の厳格でストイックな人だったと聞いています。

彼と仕事をした日本人はとてもやりづらかったことでしょう

でもリチャードは日本での生活や交流をとても楽しんでいたと

思いまこんなものを見せてくれました。これはずっと大切にしていたそうですよ。ワードブラントン日本の記憶。

夜の貴婦人さんびゃくろくじゅーで

同じといえば

同じ柄のものを車体としてすってのは

ちょっと難しいよ

難しかったですけど

初めて犬吠埼灯台を見た時に

感じたりしたっていうのはどの角度から撮って

も写り込むものだという風に感じましたね

よが開けない朝日を浴び

その全身をうっすらと染めて初めて撮った日から約46年。

今も暗い海原を照らし続けているのです。

私はここにいますここで見守っています。

リチャード・ブラントンじゃなく犬吠埼灯台空と大地と海が

織り成す風景の中でその光は現に。

 

 

 

 

**************

 

映画、ドラマ、アニメの動画視聴ならU-NEXT<ユーネクスト>。映画やドラマ、アニメの名作はもちろん、最新作も超充実なコンテンツ数が特徴です。その数120000本以上。まずは31日間の無料トライアルを是非お試しください。