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響くアートの愛好家

新美の巨人たち 神田明神

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1300年もの歴史を刻んできた、東京都心に構える『神田明神』。江戸時代には江戸を守る総鎮守として多くの庶民が参拝。今は都内屈指のパワースポットとしても注目される美しい社です。そんな神社を襲った悲劇とは?都心に建つ役割を徹底的に考え抜き、工夫を重ね、常識を覆す社を作り上げた建築家の思いも明らかに!東京生まれ東京育ちの本仮屋ユイカさんが、歴史をたどりながら、都心に建つ神社ならではの“美の真髄”に迫ります。

美術の窓 2021年 1月号

美術の窓 2021年 1月号

  • 発売日: 2020/12/19
  • メディア: 雑誌
 

美の巨人たち 神田明神

放送:2021年2月20日

 

見渡す限りビルの立ち並ぶ東京の真ん中に美しい社があります。

東京千代田区外神田2丁目。

神田明神

創建から1300年。

江戸時代にお江戸を守る総鎮守となって以来、今も手を合わせる人が絶えません。

伝統的な神社建築の社殿。

この造形は麗しき曲線を描き目にも鮮やかな朱色で彩られています。

しかし美しい姿の裏に常識を覆す大きな秘密があるんです。

喋んの下に謎の地下道。

どこにつながる。

神社寄贈の絵巻物には。

今日は神田明神に秘められた都心に建つ神社ならではの美しさに迫ります。

 

 

御茶ノ水駅や秋葉原駅から歩いて10分。

神田明神は東京のど真ん中にあります。

訪れたのは美術館巡りが大好きという本仮屋ユイカさん。

「私東京生まれなんですけど、行ったことがなくてすごい今日楽しみです。東京の人に愛されてるってイメージですね。毎年たくさんの方が参拝されてるって言うのも聞いてるし東京の名所の一つであるとは思うんですけど」

大通り沿いの鳥居をくぐって参道へ

「すごいとっても綺麗。もっとシックなイメージをしてました」

総檜作りの壮麗な随神門が迎えてくれます。

1975年に再建されました。

門の両脇にいる神様を奉納したのは誰もが知る人物。

陳式の岸川さんが教えてくれました。

「こちらの松下幸之助さんが奉納されたものです。経営の神様とうたわれた松下幸之助です。神社の御祭神がこちらにあれなんですかね

すごい大きい高さ3.6メートル重さ30トンの大黒様

一個の御影石から作った大黒様としては日本一大きいとか。

商売繁盛のこちらにも御祭神が現代アートの作家が作った縁結びの神様。

仕事の縁もしっかり結んでくれるそう。

そもそも厄除けの神様として知られるあの平将門公祀る神田明神

商売繁盛仕事の縁を結びリスクは避ける

成功したいならぜひお参りしたい

千代田区は日本有数のビジネスタウン。

仕事始めはスーツ姿の皆さんが大勢手を合わせます。

では神々がお化けと向かいましょう。

いい気分ですね最高。お参りすると清々しいです。

朱色が鮮やかな伝統美あふれる喋ん黄金色に輝く装飾と華やかな文様。

そして空に大きく広げた緑青色の屋根。

昭和9年に竣工され、国の有形文化財にもなった貴重な建物

でこの社殿は手前に入れん

奥に神を祀る本殿をつなげた権現造りという古式ゆかしい神社建築ですが、実は大きな秘密が隠されていました。

よろしくお願いします。

東京工業大学名誉教授の藤岡洋保先生に教えてもらいます。

この神社はこの辺にある普通と神社とちょっと違うところがあるんですけれどもその違いがわかるでしょうか。

ヒントはこちらの柱にあります。

触ってみてください。

何秋じゃないじゃない意見木造に全体見えるんですけれど実は全部鉄骨。

鉄筋コンクリートという構造でできた古の情緒漂う

このしゃべん木造のように見えている姿はなんとすべてが鉄骨。

鉄筋コンクリート

社殿を支える柱その柱と柱をつなぐ海老虹梁

どう見ても木組に思える屋根の裏側までとことんコンクリート製。

そして社殿内部もコンクリートで出来てるの木造に見えちゃうコンクリートを巧みに使って木造建築の風合い予定にして再現しているので

それにしてもいったいなぜ木造にせず、わざわざ木造風のコンクリート建築にしたのでしょうか。

そこには歴史の悲劇が深く関わって今

条件は1300年ほど前に遡るという

神田明神下の徳川家康が天下分け目の関ヶ原の合戦を前にこの神社で勝利を祈願します

戦に勝ち天下統一を果たして以来、神田明神は江戸を守る鎮守となったのです。

日本三大祭りの一つとして有名な神田祭の江戸時代から続く神田明神の祭礼です。

当時の盛り上がりのをはるかに凌ぐものだったそうで

その様子を克明に描いた貴重な品が神田明神に残されて今

他の長さが25メートルにも及ぶ絵巻物です。

こんなに綺麗に色が残ってるものなんですね。これ描かれているのは地域ごとに様々な飾り付けをしたし当時は神輿ではなく大きな山車が使われました。

当時の神田祭ってどれぐらい皆練り歩いてたもの何神田明神から

もうここへと埋め尽くすぐらいの出発がですね午前2時に帰ってくるのが

午後の9時とか

大きさを体感できる場所があるんですよ。

 

 

すごい高さ8メートル。

江戸時代の山車を再現しました。

こんな山車が30数本も街を練り歩いたんですから、まずは壮観だったでしょうね。

すごい終わったよなぁ

江戸っ子たちに欠かせない存在と

三大祭りと神田明神

そんな人々の情熱や信仰は間違えるから東京となっても変わらず続きました。

しかし大正時代東京悲劇が襲います。

1923年の関東大震災地震男の大火災で首都圏は壊滅状態に

10万人以上が命を落としました。

人々の心の支えだった神田明神

鳥居の柱だけを残して跡形もなく燃えてしまったんです。

その再建は急務でした。

新たな社殿を作るため一人の建築家に白羽の矢が立ちます。

大江慎太郎。

日光東照宮の修復など、由緒ある木造建築を数多く手がけた神社仏閣のプロフェッショナル。

ところがその上が提案してきたのは

「考えがあります。新しい社殿はコンクリートで作ろうと思います。

コンクリート神社を木造ではなく、コンクリートで作るとそれはいかがなものかと

当時はコンクリート建築が徐々に広まっていた時代。

大右衛門明治神宮の宝物殿などコンクリートで設計していました。

しかし神々を祀る社殿は話が別。

神社には木造が称える美しさと精神性が欠かせなかったのです。

やはり神社は古式に則り木造を厳守すべきではないでしょうか。

神社は人々の希望だと思っています。

もう二度と失われたくはないのです。

だからこそ都市の中の神社は火災にも地震にも負けない構造で作らないといけないのです。

上野にある建築家の大石さんは祖父の想いよなんか

でもちょっとリストんじゃ意味がない

じゃないかってコンクリートであろうと入れ物の中に入ってる魂には変わりないだろってそのぐらいのこと考えたんじゃないかなと賛否両論の杖

都心に住む人々の拠り所を守りたいという上の思いは受け入れられました。

大規模な神社としては日本で初めてコンクリートによる社殿建設が始まります。

目指したのは神々の住まう木の家白の美しい趣

その上で大災害にも耐えうる強靭さを実現すること重要だったのが

神社の印象を大きく左右するでした

いかに軽くするかってことです。

そのあまりにも環境にすると重くなっちゃうってできる

コンクリート全部こくるんってあるので

それから部屋をもらわないですけれど、家の中は鉄骨だけに屋根を軽くするため鉄骨おくみ表面だけにコンクリートを貼り付けて火を防ぎます。

そして地震で揺れても屋根が倒れないように鉄骨をケーブルに繋いで補強しました。

伝統的な童顔武器を施して木造の社殿と寸分変わらぬ外見に仕上げたので

さらに上は古の大工たちが木造で造り上げた風味の

大変にこだわります。

この指にそり上がった曲線。

どうやって鉄骨で表現したのでしょうか。

声は一本一本弓なりに反らせた鉄骨を作らせたのです。

もちろん膨大な手間と費用がかかります。

そんなに木造に寄せたかったんですかね。

慣れると違和感がゆりこさんとか参拝される方にママにさせないようにしたいというのもあったと思います。

コンクリートになりやすいんです

目標に見せる工夫は社殿の内部にも。

例えばこの柱。

太くすると木造建築の優美さが表現できません。

そこでまさかの木造在来。

見せたいということがあるので

柱の数を間隔を狭めるは一本一本の断面積を小さくするとエレガントに見える家族に驚くべき事に完成当時はコンクリートの表面に漆を塗って伝統的な木造神社の味わいまで表現したのです。

しかしただ先人たちの再現をするだけではありません。

この社殿に独特なアクセントを与えているのが至る所で金色に輝く装飾です。

普通なら掘り出して立体的に作るところを、大江はあえて平らな痛み曲線模様を切り出しました。

りんごちゃんと違っていて

とても華やかで華麗です。

使う色ととてもよくコントラストがすごく美しいです。

どこかモダンな草木をモチーフにした文様。

これは当時ヨーロッパから広がったアールヌーヴォーの影響とも言われています。

今は時代の最先端を行くモードデザイン。

こうして大江は神田明神を東京の美しい守護神として唯一無二の存在にしたてて見せたのです。

さらにこんな仕掛けも。

どこにつながる残る謎の地下道一体。

 

 

大東京の真ん中にある神田明神には訪れる人のための工夫がいくつも見て取れます。

参拝や祭礼が行われる拝殿。

階段の上には絨毯が敷かれていますが、その下は石張りの床です。

実はこれとと思えるそれはそうですね

明日はそれは新しいですよね

そうな昔は座ったままお参りするのが当たり前で

昭和の初め参拝は靴を脱いで拝殿に上がり座って行うのが普通でした。

しかし設計した大江慎太郎は立ったままお参りできる石張りのスペースも作りました。

これからは忙しく参拝する人が増えるに違いない。

そう配慮したためです。

さらに拝殿の扉の向こうに大江の細やかな心遣いが。

現れた場所が通路が地下へ通じているようです。

地下通路どこに繋がるの。

これなんか披露宴会場的な感じですね

じゃあ地下通路を抜けてた先は結婚式場社殿と両側にある建物が地下で繋がっていたんです。

何故わざわざこんなツールを作ったのでしょうか。

そのままその当時は非常に画期的だったんじゃないかなと思ってすぐろまんがひろ冒険してるみたいな気持ちになりました

せっかくの花嫁衣装が濡れないように。

そんな細やかな心配りも

神田明神に都会の人たちが惹きつけられた理由だったんです。

神田明神は大江にとっての遺作でした。

建築中から重い病と戦っていたのです。

製図版を病室の天井から吊るし装飾の細部まで力を振り絞って出かけ

OA摘出のデッサンが残されています。

てん条の会がありますけどまさにこの通り出来上がっているのですね

一つ一つ色やサイズまで細かく指示しています。

その思いが見事形になり今に伝わっています。

本殿の現場に爽やかな青をたたえる生命力に満ちた文様。

こちらは照明のデッサンまを感じさせながらもどこか西洋風のモダンなデザイン時代の息吹を敏感にとらえた大江の真骨頂です。

とにかくどんどん電波が死んだ

寝なくてはいけないことが次々と出てきた時に建築の形とは告知じゃないですよね

結局書くしかないから全部自分で書かなきゃっていう思いがあって

足掛け四年で完成した八代を見届けると大江は翌年安心したかのように

やがて第二次世界大戦

東京神田の下町は空中で焦土と化します。

しかしコンクリートの衣をまとった神田明神は焼け落ちることがありませんでした。

復興に向かう東京で力強く屹立するその姿はどれを与えたことでしょう

そして今神田明神の新たな役割がもう一つ

 

 

神田明神の境内東に降る明神男坂人気の学園アニメラブライブにも描かれファンからは聖地と呼ばれています。

神田明神は日本を代表する傑作漫画にも登場しました。

その作者が奉納した絵巻物見せてもらいます。

これはこち亀両さんと同じ顔してるな

おなじみのこち亀8メートルにも及ぶ直筆の巻物です。

子供達の遊びの変遷を通して神田を中心としたした街の風情が描かれています。

ポップカルチャーの守り神。

それが新たな神田明神のお姿は今何で現代人の願いを持ってこう神社お参りをする場所でもあるんです。

いつも人の平和と願いとの全てがより良くなるようにっていう風に存在してくれてるその懐の深さにきっと皆見せられていくんだなっていうのを感じました。伝統を守り続けるだけじゃないんだな。神社って進化していくんだなって新しい発見でした」

一人の建築家が丹精込めたコンクリートの壮麗なやしろ。

神神を敬う伝統と今を生きる人々の希望を支える造形です

千代田区外神田2丁目の奇跡。

神田明神

東京の真ん中でいつまでも誰にでも寄り添って。

 

 

 

 

 

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