チャンスはピンチだ。

響くアートの愛好家

日曜美術館「没後1400年 宝物でひもとく聖徳太子の夢 聖徳太子と法隆寺」

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聖徳太子法隆寺の至宝の数々が登場する特別展。国宝35件、重要文化財75件。飛鳥時代から江戸時代まで仏教美術の最高峰が一堂に。太子が日本文化の礎と呼ばれる理由とは?人でありながら仏のように信仰の対象となったのはなぜか?太子の姿を寺宝からひもとく。さらに太子直筆と伝わる書物を筆跡分析。浮かび上がった人物像とは。1400年前に太子が見た夢が現代につながる。

池田理代子さん(漫画家) 

 

聖徳太子 全5巻完結セット(文庫版)

 

 

美術展ぴあ2021 (ぴあ MOOK)

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  • 発売日: 2020/12/22
  • メディア: ムック
 

 

 

 

日曜美術館「没後1400年 宝物でひもとく聖徳太子の夢 聖徳太子法隆寺

放送日

2021年5月30日

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奈良法隆寺

今年4月、ある人物をたたえる法要が盛大に営まれました。

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その人は寺を創建した聖徳太子

今年は太子が亡くなって1400年という節目の年です。

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奈良国立博物館では太子や法隆寺ゆかりの秘宝を集めた特別な展覧会が開催されています。

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国宝36件。

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重要文化財75件。

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貴重な宝物から見えてくるのは、仏教の教えをもとに日本という国の礎を築こうとした太子の願いです。

「ちょっと圧倒された感じがしましたね。なんかあの歴史の教科書でしか習ったことがないものを実物で色々見てちょっと身近に感じましたね。びっくりしちゃいました」

「全部太子の行いが国民に目を向けた行いだったので、今の時代に通じるものが結構あるのかなと思いましたね」

1400年の時を超え、今に伝わる宝物から、太子の夢見た世界を探ります。

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日曜美術館です。

今日は聖徳太子法隆寺の展覧会を取り上げます。聖徳太子というと。

どうもイメージがすいませんお札です。

そうですよね。今日はスタジオにその懐かしの聖徳太子のお札を持ってきました。

これ見るとありがたい感じと言うか、懐かしい。

なんとこれまで聖徳太子は7回もお札に登場していて、その時々の最高額の紙幣にいつもプリントされています。

それに何でしょうは尊敬されてるって言う事なんですかね。

その期間を合計すると一世紀以上にもなるということですからそれだけお札の顔になるんでしょですよね。

気になりますよね。

今日はそういったあたりをまずは法隆寺ゆかりの至宝から見て行きます。

 

 

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奈良斑鳩後に建つ法隆寺

日本仏教の原点ともいえる場所です。

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法隆寺飛鳥時代に建てられた現存する世界最古の木造建築。

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その中心的な建物が金堂です。

古の祈りの空間をほぼ当時のまま今に伝えています。

正面には国宝釈迦三尊像

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その右隣に安置されているのが、こちらも国宝薬師如来坐像です。

展覧会ではその姿を百数十年ぶりに間近に見ることができます。

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アーモンド型の瞳に微笑みを浮かべた口元。

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波紋のように広がった衣のひだ。

飛鳥時代の美意識が現れた傑作です。

 

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こちらは本堂の四隅に配置される四天王立像。

現存する日本最古の四天王像です。

広目天は手に持つ筆で悪事を書きつけます。

四天王といえば挑みかかるような態勢の像が有名ですが、こちらは静かに直立しています。

力を内に秘めた飛鳥時代特有の表現です。

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会場でひときわ注目を集める宝物の一つ観音菩薩立像、通称夢違観音。

何でも祈れば悪夢が良い夢に変わるのだとか。

ありがたい伝えのせいかとても人気があり、江戸に運ばれて人々に公開されたという記録も残っています。

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国宝玉虫厨子

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飛鳥時代の建物を精巧に模した上部には観音菩薩が収められています。

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透かし彫りの金具の下にはキラキラとした緑色が。

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玉虫の羽です。

 

作られた当時を再現するとこんな感じに。

2500万以上の玉虫の羽が使われ、厨子が輝いていたことでしょう。

四方の側面には今日で大切にされている教えが描かれています。

こちらは"捨身飼虎"と呼ばれる、他者のために自分を犠牲にするという心得を説いたもの。

釈迦の前世の沙汰王子が崖の上から身を投げ、腹を空かせた虎の親子に自分の体を差し出しています。

この厨子を用いて仏教を教えていたという説もあります。

展覧会では今は法隆寺を離れたゆかりの品々も見ることができます。

東京国立博物館所蔵の灌頂幡(かんじょうばん)は全長10メートル以上あったという大きな幡です。

幡とは法要の時に飾り付けられる旗のこと。

織物であることが多いのですが、この幡は金メッキした銅板でできています。

透かし彫りで表されているのは仏をたたえて天女が踊る浄土の景色です。

明治時代仏教を排斥した廃仏毀釈から守るために300余りの宝物と共に皇室に献納されました。

こちらもその一つ。

国宝竜首水瓶。

仏前に水を供えるための水差しです。

目にガラス玉をはめた竜の頭。

水を注ぐ時は口が開きます。

胴体には翼を広げたペガサスの姿が。

長い間外国製だと言われてきましたが、飛鳥時代の仏像と共通する技法や模様が見られることから、近年は日本で作られたという見方が強まっています。

時代の荒波を越え守り伝えられた法隆寺ゆかりの品々が久しぶりに一堂に会しました。

 

 

ゲストをご紹介しましょう。

国立博物館主任研究員の三田覚之さん。

そして漫画聖徳太子の著者、池田理代子さんです。

よろしくお願いします。

池田さん宝物をご覧になってどのように感じなられましたか。

「実は私の父の田舎が飛鳥かなんですね。自分にとっての田舎ですので小さい時から法隆寺さんも何回連れてってもらったかわからなくて、でもその時に見られなかったものとかが今回全部まとめて見られるっていうのは素晴らしいことですよね」

三田さんの東京国立博物館でも法隆寺の宝物の一部を守っていらっしゃると伺ってますから、法隆寺にどうしてそんなにたくさん宝物があるんでしょうか。

法隆寺文化財の凄さっていうのは、奈良時代に記された法隆寺資材帳っていう財産目録がありまして、奈良時代の資材帳に載っている作品が未だに伝わってるね。それが偶然伝わっているわけではなくて、平安時代平安時代で何回も記録を取り直していて、鎌倉時代室町時代、江戸時代ってずっとお寺で宝物のチェック。どういうものがどれだけあってどういういわれがあるかってのずっと記録で残してるんですね。それを1400年近く続けてきてるって言う事で、今の博物館にもしかしたら近い面があるかもしれませんが、文化財保護って言うとなんか近代の考えのように思いますけども、法隆寺っていうのはそういうことを創建以来ずっと続けてきている。聖徳太子様への祈りってのは中心に行って伝わってきただけなんですけども、そういう祈りの思いと共に、物をちゃんと管理して守るっていうのを続けてきたからこそ、これだけのものがですね伝わった。世界的にもほとんどそんな類例がないような偉業であると思います」

池田さんがはいま作品にお書きになる時に惹かれた太子の魅力って言うと。

「やっぱり聖徳太子にも少年時代があり、青年時代があって、普通の普通ではない人ですけど、そういう時代があって、生まれた時から聖徳太子ではなかっただろうというのがなんとなくわかった」

その聖徳太子の人物像ですね法隆寺の宝物宝物から見ていきましょう。

 

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574年。用明天皇の次男として生まれた聖徳太子

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その聡明さは幼い頃から抜きん出ていたと言われています。

2歳の春には東を向いて手を合わせ南無仏と唱え、7歳で朝鮮から届いた百巻以上の経典を読破したと言われています。

当時は豪族同士の勢力争いが続くただ中。

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太子は二十歳になるとおばの推古天皇を助け政治を執り行うことになります。

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31歳の時に制定したのが憲法十七条。

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国の運営に携わる役人たちの心構えを説いたものです。

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その第一条は和をもって尊しと為す。

和を大切にし人と争わぬようにせよ。

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第二条は、篤く三宝を敬え。

仏とその教えそして僧侶の三つを敬いなさいというものでした。

太子は仏教をもとに国を築こうとしていたのです。

 

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そして3年後に建てたのが法隆寺

新しい国づくりのための祈りの空間でした。

金堂に安置されているあの薬師如来坐像

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その台座に同時の太子の志を探るヒントがあることが最新の研究で明らかになりました。

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全体が黒ずみ何が描かれているのかわからない台座の絵。

赤外線を当ててみると。

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手探りで進められた想定復元。

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手掛けたのは今回のゲストの三田覚之さんと京都の仏画師諸橋重慧さん。

ここから考えられるのが濃い色ですね。

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青系か黒系か。黒だと強調されすぎちゃうかな。

そうですね。

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現れたのはある人物でした。

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釈迦の弟子の一人。大迦葉。

56億7千万年後にやって来る弥勒如来に袈裟を渡しなさいという釈迦の言いつけを守っている場面です。

台座に描かれた仏の教えを守り抜く人の姿。

そこにはどんな意味が込められているのか。

復元に関わった三田さんにお聞きします。

 

絵が台座に描かれてるっていう事はどのように後考えたらいいんでしょうか。

 

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「大正200年ほど前にですね、難聴に令っていう国がありまして、そこに梁の武帝っていう方がいらっしゃったんですが、非常に仏教に熱心な方で、こうてい菩薩と呼ばれたんです。中国ではその工程に申告納める人間が菩薩であらなければならない。盗撮の精神によ髪を統治するっていう考え方が理想としてあったわけなんですけども、そこに非常に憧れってのがあったんじゃないかなっていうのが美術作品の様式からも読み取れるように思います。

見てもらうとすごく山の形が被らもらっとこちょっと動き出しそうなんですね

毛が生えてますけどもすごく心なくってあの葉っぱの数がまばらなんですね

こういう漢字っていうのは中国で言うと

6世紀の中頃ぐらいのスタイルなんですね。なのでこれが描かれた頃と考えると

100年ぐらいのタイムラグがあるんです。

聖徳太子のために作られましたその金堂の釈迦三尊もですね、やはりその6世紀の前半から中頃の様式では太子の時代からと100年ぐらい差があるんです

やっぱり聖徳太子はそういう古い様式って言うのより

良いものとして取り入れたと思うんですね。

なるほどだがそれぞれ100年ずれてるって事

意味がそこにあるわけないじゃないかなと思ってます。

宝物の中には対し自らが仏の教えを実践していたと伺えるものもあります

法華一乗仏教の重要な経典である法華経について対し自らが記したという解説書です

難解な内容や国についての注釈が記されています

例えばこの部分。

父を捨てて調整競という例えは仏に背いて六道迷いの世界をさまようことを表している

丁寧な解説がいくつも書かれているのです

さらに書いた文字をこすって消したまとや上から紙を貼って修正した痕跡もありました

太子の人柄を筆跡から知ることはできないか手書き文字研究者の盛岡講習さんです

古文書の分析から現代の筆跡鑑定までを手がけるこの道40年のエキスパートに分析を依頼しました。

盛岡さんが注目したのは薬という文字です

いい運動に長く突き出してる度合いがね歴史を見てもこんだけ長い人は非常に少ないんです。

盛岡さんは長い横線から意志が強く自信に溢れた人物と推測しました

こうなんだと確信度が強いとね自分の園気持ちの表現のために

線がどうしても並みの水準じゃなくてもっと突き出すはずだ

次に指摘したのは

極端に丸みを帯びた角

何だかちょっとユーモラス水分

それから柔軟性のあるガチャガチャって

出てるっていうところがあると思います。

その在り方にフロントになった

女の人じゃなかったと思いますね。

清水から講義を行っている絵も残されています。

鎌倉時代に描かれた勝鬘経講讃図。

太子を囲むのは小野妹子蘇我馬子ら当時の政治を動かしていた人物。

教えを説いているのは勝鬘経

その特徴は出家をせずとも仏教に帰依すればあらゆる人が救われる

届いていることそこには男女の区別すらありません。

男子は遍く人が救われる社会を目指していたのです。

4月に行われた100年に1度の大法要。

僧侶たちによって唱えられるのは大使はさんです。

日本の礎を築いた聖徳太子をたたえる歌に令和と今響き渡っていました。

最初の直筆と言われる方。

今日はスタジオに奈良県立図書情報館からぶりかの形でお借りしております

皆さんが気になるのはどの部分ですか。

個人的な感想なんですけれどもこの保険証ですね

投資で見てみるとその部分部分で微妙に位置が異なるんですね

もちろん同じ人の筆跡なんですけどもにの気分が異なるんです

ここをご覧いただくとそれなりに太い一夕で素早くあの代々と書かれてますけども

次横になると

急に文字が小さくなりますよね

随分小さくなって

また次へのもう少し大きくなるんですけども

先ほどほどの太くないちょっと細い細身に

なりますこのようにですねその書いたとき

時の気分っていうものがすごく表れてるんですね

こういったのはやっぱりお経などは各専門の人間でしたら

もっと音の形が大きさもいつも揃ってくると思うんですね

そういう文字を書く専門の人間ではなくてパスを検討している人の文字なんだと思います

またの一日で朝から晩までその仕事をやっているわけではなくて

その自分の時間がある時にそのやってるって言う事で

これやっぱなんか大丈夫じゃないって感じが続き

書かなきゃみたいな感じで書かれたのかなーってそう言われると

なんか耳の形とか大きさが微妙に違ったりするのが納得しますよね。

でも人柄とか分かるんですね。

誰の筆跡っていうか今でもそうですよね

あのその人を表すと思うんですね

さっきあの子国こっち側が丸型の取っ手もなんか

あの今の若い女の子の丸文字になるときに参考にされたと言うか非常に好影響を受けたというあの作品があると伺いそうなんですねはいこれもね

1番左にいらっしゃるのがいい子なんですね

そうですねの毛がねあってすごく美しくて

私の中で皇太子のビジュアルを決める時に

とっても参考になったんですね

この時代はのみずらこういう紙をいろんな風に言っているんですがひょうたん

のようにしてみたり花を飾ったり酷いのになるとその先に鈴何かついてたしてその若きプリンスというイメージが私の中ではいてやっと色々と動き出したっていうところですかね

我々がイメージする聖徳太子ってそのさっき症にはのお札って言われました

けどもそのイメージで思っちゃってるんですね

体操っていうのが一般化したのは明治時代以降何で事故むしろ

あの鎌倉時代から江戸時代までに至るまではこの少年の姿の太子っていうほうがそうですみんなに一般的な若きプリンスそしての大獣かもね

あのその時代にしてはすごく新しいことに結構目を向ける。何て言うのかな例えばクラシック一辺倒だった時代にロック伯爵ミュージックを取り入れるとかそんな風なちょっとこうやんちゃなところのあるすごくね

新し物好きって言うと変ですけれども進取の精神に富んだすごい素敵なプリンスだと思うんですよ。

やっぱり各社的な側面っていうのはやっぱある人な美術作品とかの考古

遺物を見ましても

聖徳太子の周りに行ったらって

飛び抜けて変わっていて

その当時の人が思いもよらない

ひゃく年後ぐらいにならないと

それがちゃんとした形になってこないものが

最初の周辺にはもう存在してるって言ってすごく不思議な人ですね。そんなに修行しなくても、出家しなくてもみんな仏様になれるんだよっていうようなことをといてくださってるのかなあというふうに思います。

しかもだけのままで成仏できるって言うのは何かとてもありがたくなって結局そういうことこそが聖徳太子信仰っていうものが庶民に広く広がった理由じゃないかなと思うんですね。

じゃあその後の世に生き続ける聖徳太子の姿を続いてみていきます。

 

 

 

太子の死からおよそ450年。

平安時代後期に作られた国宝聖徳太子絵伝。

太子の様々な人生の場面が10面の絵に表されています。

中にはちょっと信じがたい伝説も。

こちらは太子が馬に乗って富士山をひとっ飛び。

大勢の子供の話を1度に聞き分けたことも太子の生涯を伝えるために作られ、僧侶がこの前に立って説法をしていたと考えられています。

没後500年という節目の年に製作された聖徳太子の像で冠を買う威厳に満ちた表情

摂政として政に臨む姿だと言われています。

X線で中を調べてみるとなんと小さな観音菩薩が収められていました。

しかも観音菩薩の顔は芦の口の位置にピタリと重なります。

大使の言葉は

観音菩薩の言葉のようだ

というのでしょうか

鎌倉時代になると

ある太子の像が

全国で作られるようになります

教養と病に倒れた父を看病する

じゅーろく歳の太子手に持っている絵香炉で

一晩中香を焚きながら

祈りを捧げる親思いの姿です

全国にせん以上あるという聖徳太子の像や絵

そのなな割近くが共用

そうだとの調査結果もあります

東洋像が全国に広まるきっかけをつく足取りが

親鸞でした

鎌倉時代度重なる戦に人々が苦しむ中で

仏教が一部の特権

階級のものとなっていました

診断は原点に立ち戻り

あらゆる人を救いたいと浄土真宗おおしまい

その時頼りにしたのに対しの教えでした

新しい仏教の広がりとともに

大西の進行も全国編

その後太子信仰は各地の風習と混じり合い

根付いていきます

石川県能登にある浄土真宗の寺西教寺

鎌倉時代から餃子を祀っているといいます

第よんごー店舗

第三地域の人からは親しみを込めて

そう呼ばれています

毎年3月には大志を叩いて

この地方独特の団子巻きも行われます

本当にその素朴な願い

その孫の受験でしたか

そういう願掛けのような

あのことでお参り来られる方も多い

本当にあの親しんでいただいて

おるぞーやと思います

聖徳太子はなぜ

多くの人の心をとらえてきた

地元で調査を行った

浜岡信哉さんに聞きました

ドクターX亀さんでも

ナイス仏さんでもないって

退散自体が生身の人間だったっていうところが

逆に自分たちに近いって

思いがあったのかなと思いますね

いつから本当に自分たちと同じ人間なんだけど

すごいことができたんだ

からお願いしたら

叶えてもらえるかもしれないとか叶わないわ

でも相談に乗ってもらって

ちょっと気が晴れたよね

っていう思いが繋げやすかったのかな

と思いますけどね

聖徳太子って言うと

やっぱりどうしてもこう常人を超えた

様々な制度改革をもたらし頑張れましたけど

家の中にいたが

フライじゅー人の人の話をいっぺんに消えた

とかってそういう意味で

やっぱりちょっとね的なイメージとして

広がっていくこともある

と思うんですけれども

やっぱり私が思ったのは

とってもの人民弱い立場の人民のことを考えてらっしゃる

貧しい人力弱き人への子の気持ち

っていうのが

実際何かお願いすれば

聞いてくださるんじゃないかしら

っていう思いを

多分みんなが持ったんじゃないかな

と思うんですけど

漫画の中でもお書きに

なってましたけど無い方

岡山で植えた人に食べ物と衣を与えるという

有名なお話があるんですけども

困ってる人のところによって言って

寄り添うっていうような

大使のイメージっていうのは

もう日本書紀から連綿とあるんだと思います

けれども実はその本を司るばにもお

太子像が飾られているというので

今ちょっとこちらに出ましたが

これは1970年代まで最高裁判所

大法廷に開けられて

これどういうことでかけられてたんでしょうね

堂本印象画伯のこの聖徳太子

憲法十七条をあのハプナサル

これからこれで設定いたしますってところ

お姿なん

ですけども法の理念のあの最高の姿として

アップルの聖徳太子憲法十七条の精神

というものを掲げられたんだと思います

せんよんひゃく年前というと

もう遥か彼方もう明日かのもう遠い

遠い昔と思いますけれども

そういう意味では

今2021年でも通じることが伝わることが

たくさんある思ってもいいんでしょうかね

昨日その和をもって尊しと

なすもそうなんですけど

もうその仏教にしてもですね

あの有能な人間を採用する社会にしても

今我々が生活の中で当たり前だって思っている

日本の文化の形の原形っていうのがば

聖徳太子が種をまかれたと思うんですよ

大志のを持った理想っていうのを

どういう風に現実化していくかって動画

その後の時代のいろんな政治の動きであったと思いますので、我々を規定しているのだから普段何も感じないようなこの国のかたちって言うとこの背後に聖徳太子っていう存在が今でも生きてるんだと思います。

だからのお札から消えた時は

実は私はものすごくショックでした

であのそのうちじゅーまん

えん札ができて最高額ですか

また復活されるだろうとか

思って待ってるんですけど

次は池田さんの書いた聖徳太子

じゅーまんえんのインフレですけどね

ほんと今日聖徳太子ってなんか人のなんかこう

大きさっていうか

法の理念を体現されてるような人だって

言うような空なんてすごくコマ

とうとういっていうか

やっぱりショックを

あの象徴的な意味をたくさん持たれてて

同時にその親孝行って

すごく人間的で私たちにおかしいところの

ある人だって言う

もうそれなんか聖徳太子のなんか

イメージが随分変わりました

改めて今回の展覧会を見に行かれる皆さんに

三田さんからはどんなメッセージがありますかは

このせんよんひゃく年っていうのは

本当に特別な機会で

この100年に1度の展覧会っていうのを今目の当たりに見ることができる

たとても聖徳太子なり美術が好きな人間にとって本当に幸せなことですね。

もう本当にびっくりするような間近で非常に柔和な表情をあの拝観することができますので皆さん近くでその感動っていうものですね共有していただきたいと思います。

今日はどうもありがとうございました

 

 

取材先など

 

放送記録

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書籍

 

 

 

 

展覧会

 

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